コミックが流行っているということは聞いていたけれど食指は動きませんでした。ドラマになって初めて見た次第です。あと一回で最終回、週一回の楽しみが無くなり残念、残念。
最近はドヴォジャーク(ドヴォルザーク)のチェコ組曲の愁いをおびたメロディーが千秋のテーマ曲のようにかかり、ちょっとグッときます。シュトレーゼマンやドイツ語が登場したりするのでホームグランドにドイツ語圏かフランス辺りを想像していると、プラハからの帰国で飛行機事故に遭っているようですね。ヴィエラ先生はイタリア人らしいし、訳ワカメです。

NIKON F100 1/125 F8 Program-AE RVP F
AF-S VR 24-120mm F3.5-5.6 35mm付近
ウィーン国立歌劇場の右翼。ドヴォジャークが最初に評価を得たのはウィーンだった
![]() | いつもポケットにショパン #1 (1) くらもち ふさこ (2003/12/18) 集英社 この商品の詳細を見る |
他にもクラシックを題材にしたコミックはいくつかあったと思いますが、仁屋番頭のお薦めは「いつもポケットにショパン」です。音楽学校(高校)にかよう麻子ときしんちゃんの音楽を媒介とした青春の日々を詩情豊かに?綴っています。のだめのお笑い系とはやや方向性が違いますが面白いです。

SONY DSC-R1 こちらは仁屋番頭の近所にある公共のホール
「のだめ」でもお馴染みのラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番第2楽章で、主人公麻子さんが「あっ、次、好きなところ」とセリフを発する箇所があったと思いますが、それがどのフレーズなのか……だいたい想像がつきますが、是非映像化して具体的な回答を示して欲しいものです。演出家によっても想定するフレーズが違うんでしょうね。
時計の音はバッハこぼれ落ちたのはソナタの3番の出だしの下降音、そんな音が私の耳には響きました。
女学生のお喋りはモーツァルト
ポケットからショパンがこぼれた

開店待ちの行列は。。。

何はともあれ、いきなり読後感想文
アンコール復刊で手にした三島 憲一著『戦後ドイツ―その知的歴史』(岩波新書)
昨年夏に読んだ仲正 昌樹著『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書)を思い起こしたが、久しぶりに難しい本であった。理由は簡単ーードイツで暮らしたこともない仁屋番頭にとって本書の素材である文学畑とフランクフルト学派と政治が頭の中で1つにならないからであり、本書から読みとれる政治周辺で蠢いている左翼運動家の危機的状況が把握できないからである。
ほかに戦後ドイツの体制 constitution や改革はこれら左系思考保持者のみの所産か。そう読めてしまうところに違和感を覚える。
『日本とドイツ〜』の方はマルキシズムの系譜からニューアカデミズムまで要領よくまとめていたが、本書を読むとフランクフルト学派であろうが何であろうが、結局これらの知的営みは現実に何も対処できない「絵に画いた餅」ということに終わってしまう。(実際に彼らがなした活動は思想的にとどまらず社会的潮流を造り出したはずであろうが、この手のいずれの書もその様子を描写するに到っておらず、隔靴掻痒の感がある)
伝統やキリスト教的道徳への乖背、新しい共同体、環境保護推進論(自然主義)、菜食主義……ウーン、私のまわりにも大勢いるな。本書で紹介されていたアルタナティーヴかもしれない、気を付けよう。この本から得た有益な情報は取りあえずそれくらいかもしれない。
各章の扉写真や挿入写真のコメントはとても印象的だった。いくつか紹介。
・DAZU brauchte Hitler 12 Jahre Zeit.
ここまでするのにヒトラーは12年かかった
(1945年、灰燼に帰したベルリンにあった落書き)
・Unter den Talaren - Muff von 1000 Jahren.
タラールの下には千年来の黴
(タラールは大学教授の儀式用マント)
・Bis der Erstickungstod uns scheidet.
窒息が私たちを分かつまでいつまでも……
(環境汚染の抗議ポスター:婚姻する男女が写っている)
アドルノはシェーンベルク流の前時代的で的が外れた音楽論しか読んだことはなかったが、専門分野では逆のことを主唱したかったんだな。これには笑えた。
いずれにせよ、現代欧州(ドイツ)の動向を知る情報書としての価値はある。
ちなみに私の知り合いのドイツ人、出先で出逢う欧州人たちは、ハーバーマスの名前さえ知らない人が多いことを付け加えておく。
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遅ればせながら読み終えた。
出だしを読んで、その後読まずに積ん読にしておいたのだが。。。とあることをきっかけに読書再開の運びとなった。
以前ヨーロッパに仕事で行った折り、国境を越えようとする難民を、経済が破綻するなどの理由から西側の軍隊が射殺する、というニュースを目の当たりにして衝撃を受けた。日本などでは報道されない現実であり、日常的なことだと在住の知人らが語ってくれた。帰国してその話しをしても誰にも信じてはもらえず、夢でも見ていたのかと思うことさえある。
ふたたび読み始めると、冒頭まもなくそのことに触れている。やはり夢ではなかったのかと、この一段に出くわしてからは感情移入ができたのか、もとよりよくできた小説、途中濃厚なラブストーリーに身の置き所もないことがしばしばあったが、一気呵成に読み終えた。
「ファシズムと共産主義は呪われた双子の兄弟」 途中の社会論の単純さには閉口しつつもこの一句は前後のコンテクストとあいまって読者へのライトモチーフとして印象に残る。
ラスト、ヒロインのカテリーナ・グレーベが主人公・堀江亮介の腕に崩れて絶命する。これが具体的な顔を持たない冒頭の回想とピッタリ重なる。なるほど。。。
著者は現役の外交官。跋には「事実を素材にしたフィクションである」と断っている。ネット上の書評と同じ感想を抱く、どこまでが現実にあった話しでどこからがフィクションなのか、、、つい著者の心痛を思ってしまう。
当時近隣諸国に滞在し、東側との緊張を体験した知人らは、まさにあの小説のような世界だった、読んでいないのなら読みたまえ、と申し合わせたようにいうのが始まりだった。ヨーロッパに興味のある人は、参考書として一読することをお薦めする。
今は著者の術中に嵌り『ベルリンの秋』を読み始めたところだ。

といっても何のことか分からないかもしれません。
近年本を読んだりしていると、鉛筆で描いたような簡略な線でできたクマ(熊)を見かけることが多くなりました。強いてあげればこんな感じです。

『こち亀』なんかにも出てきたような気がします。昔読んだきりでよく憶えていませんが。
ほかにも大分以前に読んだ 細野真宏著 『経済のニュース』
ポスペのクマもこんな感じでしょうか?
このクマは何かのイメージキャラなんでしょうか。もともとは何のキャラクターだったのでしょうか。版権とかはどうなっているんでしょうか。
気になります。
知人が本を出版しました。
色彩ぬり絵BOOK カラフル・マンダラであなたの心が見えてくる
というタイトルです。(PHP研究所 ; ISBN: 4569646247)
色彩や、幼児教育などを研究されている方ですが、この本の著者名は、そうした方々複数のグループペンネーム。
マンダラのタイトルから宗教を想像しますが、内容はほとんど関係ありません。心理学的要素を踏まえながら、そんなことは関係なしにぬり絵のほかカラフルな絵で楽しく見てゆけます。(といっても前身となった私家版を見せていただいたことがあるだけなのですが)
断らずに勝手に紹介させていただきました。
デジタルカメラに関して、銀塩時代からある写真情報誌やインターネットでかいつまんで得た知識程度でしかない。何かいい本はないかな、と折を見ては書店の書棚を眺めるが、せわしい仕事の合間のこと、ゆっくり探している暇はない。デジタルカメラの専門誌など毎月の連載をバックナンバーで読むということも考えたが、それもなかなかかなうまい。
先日たまたま目に着いたのがこの本『体系的に学び直すデジタルカメラのしくみ
発刊を見ると2004年だからチョット古く、D1、10Dなどの名前がちらほら見える。帯は「一眼レフユーザー必見の……」と書いてあるが見なかったことにする。たいして違いはあるまい。
レンズの仕組みや数値の割り出し方、撮像素子の仕組み、手振れ補正など、メーカー名こそは挙げていないが、各社の使用している技術の相違などについても触れている。画像ファイル、記録メディア、規格についても一通り説明があって、知っていることも知らないことも一通り読むとなるほど、うまくつながる。
ときどき図と解説が整合しておらず、もう少し説明が欲しい個所があるのはご愛敬。『図解 レンズがわかる本 VISUAL ENGINEERING』というのもあったが、とりあえずこっちを先に読んどいた方が賢明だろうなぁ、と本棚の肥やしがまた一つ増えたのはいうまでもない。
ちなみに仁屋番頭のは第2版2005年7月8日となっていた。
Hodder&Stoughton という出版社の Teach yourself という叢書に、なぜか"Sanskrit" がある。著者は Michael Coulson である。Sanskritは周知のようにインドの古典語である。
私の専門外なのだが、この本は日本のサンスクリット教科書には余りないようなタイプで、読んでいてい結構面白い。
amazonの評価も結構高い。菅沼晃氏は『新・サンスクリットの基礎』下の中で「文法体系にとらわれずサンスクリットを読み書きすることを主眼とした独習書」と紹介されている。例えば第4章に'Use of the past participle'と1節を割いて、次のような項目がサラッと出てくる。
分詞をとりあつかうときに、特に、不変化詞api(…でさえ)が分詞をともなって前接辞的に扱われるという点は、注意を喚起しておきたい。それは譲歩の意味となり、「…だが」という風に訳される(動詞〈定形動詞finite verb〉であろうが、なかろうが、である)。
【例】i.staaha.h api pa.n.dtaa.h na aaacchanti.
‘望まれたが、(その)学者たちは来なかった’
普通の教科書にはあまり出てこない記述の仕方である。同様の記述が見られるのは、Speijer の"Sanskrit Syntax"§363にあり、辻直四郎『サンスクリット文法』p.300が総括的に取り扱っている程度であろう。例えばSpeijerを範にとっている二宮睦雄『サンスクリット語の構文と語法』では触れられていない。逆に言うと、これが必ずしも当てはまらない文例もあり注意を用意する部分でもあるが、文の解釈学の中では古くから知られている事項であり、役にたつ知識でもある。
またサンスクリットの難しさの1つに、繁雑な連声 sandhi の規則がある。実際にはこれを知らなければ単語さえも把握できないのがサンスクリット文である。この内連声の反舌化の規則について、本書は表にまとめることができるという。
| .r -r r s | 軟口蓋音<喉音>( k kh g gh ^n ) 唇音( p ph b bh m v ) y h .m <.hは例がない>それに母音の介在は許される | nが.nに変化する | ただし直後に母音や m y v n <稀に.nでも許されている例がある>が続くとき |
これは明快であり、上記『新・サンスクリットの基礎』上や平岡昇修『サンスクリット トレーニングI』p.33でもテーブル化表記しているのはこの影響によるものであろう。
一方、手放しで喜べない部分もある。第11章の例文、
Priya.mvade, kasyedam u^siraanulepana.m m.r.naalavanti ca naliniidalaani niiyante.
を、「プリヤンワターよ、誰に繊維までも備えたウシラの軟膏と蓮の葉を持って行かれるのですか?」の英訳を示しているが、これは「葉も茎も根もついたままの蓮」のことで「その好き香りのする根と葉つきの蓮を、誰に持って行かれるのですか?」と訳されるべきところではないのだろうか。インドではお祝いやお見舞いなど、機会あるごとに蓮を持っていく習慣がある。こうした異読?ととれる個所が見られない訳ではない。
語学に興味のある方はご照覧あれ。





