とは何のことはない、iPod nano を入手した。PC は MS-DOS → Windows と使用してきたが、アップル Apple のマッキントッシュ Mac はオシャレだなとつねづね思っていた。
Windows にはすでにアプリケーションの資産があるし、番頭の仕事にはデータベースが必須だから Mac に移行することはできなかったが、アクアあたりからなら OS をいじっているだけで楽しそう。
閑話休題 ―― 社会人になってからは、外国語の勉強は NHK の語学講座だけが頼みのツナだが、それも忙しくてやらない。
ある日教材の裏に、サン電子 トークマスター TalkMaster なる広告を見つけ、「これだ!」と思った。だが価格も高く、なぜか書店でしか売っていない。内蔵メモリが 1GB 前後のものはちょっと手が出せないほどだ。
そこで iPod や Walkman で何とかならないかと思う。
だが、単体で録音はできないし、トークマスターのように NHK のラジオ講座の録音に特化した製品はこれしかない。その間類似の商品の発売もあったが、なんとなく今ひとつ。
図書券が少しあったのでこれを利用して、おまけ程度に内蔵メモリが入っている(内蔵メモリが無いタイプといった方がよい)モデルを手にした。
トークマスター TalkMaster英語、ドイツ語、基礎編、応用編、ビジネス編…… 1 日数講座であろうと 1 週間の特殊な番組編成でも、どのようにも録れて、そのうえ再生速度調整、練習録音モードなどあって「鬼に金棒」のような機械なのだが、欠点がいくつかある。
1) バッテリーがもたないこと
充電して2〜3日の講座をタイマー録音、移動時間にまとめぎきしたりすると、夜の講座はバッテリー切れで録音されていなかった、なんてことはしばしば。
(番頭のモデルは、左の写真より1つ前のモデルです。したがって現在バッテリー持ちは
2) 音が悪いこと
外部スピーカーもさることながら、イヤホンで聴いていてもよく聴き取れないことがある。
音もデフォルトの 32 kbps では、再生音が???、スロー再生したときの音飛びも気になる。最低でも 64 kbps を設定した方がよい。
3) また携帯できる というのが以外に落とし穴
地下鉄移動中にタイマー録音がはじまり、その時の放送は「砂の嵐」となる。
出張中に携帯したら、異なる周波数放送地域で「砂の嵐」が録音される。自宅に置いてきても、出張中にバッテリー切れだったろう。クレードルに置きっぱなしという芸当は怖くてできない。

EOS 30D EF-S 17-55mm F2.8 IS USM
processed RAW materials by DPP 3.2
【出張中】
というわけで、トークマスターは録音用タイマーと割り切り、再生用にもう 1 台あるのがベストと決論し、同じ MP3プレーヤーである iPod nano を初体験することになった次第。
やっぱりオシャレ音はソニーの方が評判がよいみたいですが、アップルの魅力には勝てませんでした。
一年分の講座を入れて、同じソースファイルなんですけれど、こちらの方がいくぶん聴き取りやすい。ついでで音楽 CD もいれて……。
2 年前のドイツ行きは、実は 2DF (ドイツの第 2 国営放送)が取材に来ていてちょい映り程度に報道されました。後日、テレビ局のデータを譲ってもらい送られてきていたが、再生方法が分からないで放置……。
さてさて、このたび PC も新調して DVD プレーヤーも入っているので、比較的ヨーロッパの規格を網羅しているというソフトを紹介してもらい、海外サイトからダウンロードしてみたら見事に再生!。これを iPod用 にMP-4に変換して……おおっ、再生できた、これでみんなに見せられる……と、毎日感動して暮らしています。
いやぁ、 iPod 、オシャレな上に便利ですね。
![]() | ピアノソロ アストルピアソラ ピアノコレクション (ピアノ・ソロ) (2000/12/21) 宮崎 幸夫 ★★★★☆ 技術的には初級〜中級者向き。 音楽的充実度を求めるのなら、他の楽譜を求めた方がよいかも。それがピアソラの曲の音楽性にマッチしているか否かは疑問だが……。 商品詳細を見る |
『リベルタンゴ』 Libertango はご存じアストル・パンタレオン・ピアソラ Astor Piazzolla (1921 | 92)の出世作である。
ピアソラは今でこそギドン・クレーメル Gidon Kremer らの顕彰運動があって一流作曲家の仲間入りを果たしているが、仁屋番頭が子供の頃は、日本では知る人ぞ知るバンドネオン奏者/作曲家だった。
初めてピアソラの演奏を耳にしたのは NHK 放送の演奏会だった。
曲が終わると、間の悪いタイミングで拍手が起こる。やけに白けたノリの悪い演奏会の録画だったが、そこで展開されていた音楽は、甘い感傷的なメロディのタンゴ、ただその旋律の裏に剃刀のように前衛的な光を煌(きら)めかせていた。
ただのタンゴではない子供の私にも何となくそのことは分かった。そしてこの曲だけはと走り書きをしたのは『ビジュージャ』 Biyuya という題。「おカネ」という意味である。このメモ帳は今でも手元に残っている。
勧進元はよく分からないがピアソラを招聘、紹介するためにNHKがお膳立てに一枚噛んでいる。当時の事情を語る出版物は、招かれた専門家たちもピアソラをほとんど知らない人が多かった、とある。今それを読んで妙に納得した。モサリーニも NHK は積極的に起用し紹介につとめていたし、NHK はこういうところは先見の明があって素晴らしい。
さて、『リベルタンゴ』や『ビジュージャ』なる名詞を覚えてショッピング。ピアソラのレコード探し。だが当時の輸入レコード屋さんには皆無。あるお店で個人輸入の形で入手できるか相談したが、
何人か集まればやってあげてもいいけど、キミ一人だと払えないよ。ご両親はこのことを知っているの?とたしなめられて断念。いい想い出である。
日本楽器に行くと、アンサンブル用とも曲のスケッチともなんとも言えない楽譜は時折入ってきていた。それも何かしら一曲が……という感じ。なんの曲か分からないものが多かったが、時折購入した。
そんな楽譜を眺めて、ピアソラという奏者は私の中に定着していった。
死後、彼の曲が再評価されて楽譜も CD も次々と出版・発売される。
「あ、この曲有名」知人らに「わりとミーハーなところがあるね」と笑われようが何だろうが、昔手に入れられなかったものが、今労せずして目の前にある。ピアソラブームを冷笑する知人たちの目も気にならなかったから、我ながら驚いている。心底好きだったんだろうか……自分でもよく分からない。
「あ、ここに楽譜の曲が入っている」
『リベルタンゴ』は日本での再評価期、ヨーヨー・マ Yo-Yo Ma のチェロでの演奏がCMに起用されて広く知られるようになった。ピアソラ作品の紹介に努めたクレーメルはこの曲は録音しなかったようだ。
ピアソラは1980年頃、新しく五重奏団を組織し直した。
この頃からのメンバーであるピアノ奏者 パブロ・シーグレル Pablo Ziegler らも手伝って古い作品をリニューアルしていった。『リベルタンゴ』のニューバージョンは一言、「カッコイイ」のであります。即興性に富んだ前奏部がつき、ことに曲後半、自由なパッセージの合間にカタストロフィーを暗示させる和音の下降をともない、イタリア ヴェローナ Verona の円形劇場で行われたライブの録音(録音年時不詳。音は劣悪)を聴いていても会場の興奮が伝わるような演奏であります。
そこで日本でもこのバージョンを取り入れたアレンジ版の楽譜が多く出たが、どれも今ひとつの感を拭えなかった。ところが先日 嫁さんの楽譜探しにつきあって楽譜屋に足を運ぶと、宮崎幸夫編 『ピアソラ / ピアノコレクション』 (ドレミ音符出版社) 表紙に見覚えはあるが、中を見るとシーグレルバージョンの音の並びになっている。出版日は 2000 年。見落としてい……というより、すっかり忘れていたのだ。
もちろん忠実な採譜ではない。
あくまでも曲の雰囲気をソロピアノでどのように写せるかが至上課題なのであろう。そして他の編曲者版よりは原曲の容姿を留め、抑圧されてれいた意思が自由を得たときのような爆発的なエネルギーが流れを形成するような全体のノリ、これを崩させないアレンジで成功していると思う。
その他この曲集中『アディオス・ノニーノ』もよくできていると思う。この曲は、ピアソラ自身の手でピアノバージョンが筆録された数少ないものである。そのピアソラオリジナルバージョンも宮崎氏の手により校訂出版されている。(ラテン・アメリカ・ピアノ曲選 2 アルゼンチン編 CD付) ピアソラ・オリジナルとはまた違う味を出しているので両者ご参照あれ。
![]() | バッハ:ゴルトベルク変奏曲 (2005/06/22) レオンハルト(グスタフ) 商品詳細を見る ☆☆☆☆★ |
夏も終わりに近づいてきた。
少しゆっくりした時間を過ごそうと、久しく遠ざかっていた音楽鑑賞の世界に立ち戻り、CD を手に帰宅する。
以前から聴きたいと思っていた グスタフ・レオンハルト( Gustav Leonhardt 1928.5.30- )の『J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲』である。(その他にも何やかや……ここはゴルトベルクで代表)
レオンハルトという奏者、私はあまり好きではない。
氏はアーノンクールらとともに、今日の古楽の地位を慥らめた功労者にして、不朽の功績を成し遂げた権威の1人であることは誰しも認める所であろう。
古楽黎明期、これら少数派の指示する古楽は、現代楽器の奏法を否定し、バッロクボウ、ガット弦から始まり、ノンヴィブラート奏法、残響音たっぷりの宮廷を利用して、安定しない音を飽和させるスタイルの演奏を蔓延させていた。
また他の楽器、例えばチェンバロは言うに及ばずオルガン奏者に対して、今日のピアノと同じように指を曲げて打鍵しているだけで失格の烙印を押すというような極端に排他的な態度をとり、はてはバッハのシャコンヌ冒頭はこの奏法では和音とは考えられないから、当時のアルペジオの表記法がそれだったのだ、及びこれとは逆に中間部のアルペジオ部分が和音なのだ……のような陳腐な説さえも押し付けていた。このようなイデオロギーを擁した古楽界の人々の態度も白けたし、その結果オーセンティックとされて出される演奏/録音の音楽的魅力の乏しさに、可能性を魅つつ、音楽業界の多様化というのか、リリースされる録音の氾濫と輸入・国内版の区別無しのマーケティング……音楽鑑賞という日課から徐々に足は遠のいていった。
そして台頭しつつあったレオンハルトの演奏。曲の流れを断ち切る小節ごとのアクセントの強調、J.J.クヴァンツの『フルート奏法試論』によるといわれる不均等な拍子を刻むスケール、恐ろしく不自然にアゴーギックに揺れるテンポ、場合によっては完全に転ぶ……かなり癖のある演奏だった。それも意図的なテクニックなのかどうかも分からない。このようなフルート理論を鍵盤楽器にまで敷衍していいのかどうか、専門家でも当否が別れているという。
こうした奏法でも、この人の門下に連なるアンタイ Hantai など第二世代、もしくは第三世代でもう少し洗練された演奏を聴かせる人は少ないけれど存在する。
そんな理由でほとんどの録音は聴かず嫌いだった。
昨今の古楽演奏は、当時とはまた異なる。
ヴィブラートは全く否定されている訳ではないし、誇張したピリオド奏法は退行して、現代的感覚をともなった演奏に近づいた。ヘレベッヘの合唱曲を聴いているとあまりのロマンティックさに、リヒターを意識しているかと耳を疑ってしまう。
そして一時期店頭に並んでいなかったレオンハルトの録音も、来日記念で廉価版がリリースされ、輸入盤の品数も結構な数に及んでいる。
そんな時代の移り変わり中で、更めてピリオド楽器を用いたバッハを聴きたいと意欲も湧く。
第1候補はパルティータだったはずが、次点のゴルトベルク変奏曲に手を伸ばす。
ゴルトベルクの録音は、1.1953年 VANGUARD 2.1965年 Teldec 3.1976年 DHM Splendeurs(duetshe harmonia mundi. オリジナルはBMG) と数種類がある。今回入手したのは1976年版。古い録音は恐らく私の想像の範囲の中にあるであろうことも、この曲のこの版にした理由。
演奏は中庸。
例えばグレン・グールドの解説では、主題のアリアから唐突的に第1変奏に移る点を指摘している。一般的に変奏曲というのは、第1変奏は控えめに主題に従属しながら第2変奏につなげていく役目を担うが、作曲者はここではアグレッシブな挑戦を試みている、という理解になる。グールドのみならず他の演奏家たちも、彼らの演奏からこの変奏に同じような性格を読みとっていたことは理解できる。
ところがレオンハルトは、主題と全く同じ流れのもとでこの変奏を始める。実に淡々としたものである。この傾向は全変奏を通じて流れているが、後半にかけてやや昂揚してくる。
この奏者はコンサートでもそのような傾向だという。プログラム最初は控えめな調子で、後半にかけてのってくる。録音でもその傾向が反映しているのだと思う。それは他の CD では次のような感じで現れている。J.S.バッハのオルガンアルバムであるが、かの有名なトッカータとフーガ d-moll BWV565 この緊張をもたらすパッセージで始まる楽曲を、揚々とした雰囲気で弾きこなしてゆく。BWV548 にしても然り。教会音楽・バロック音楽という特権階級社会の穏和な空気を破る、天からもたらされた一閃の光線ともいうべきセンセーショナルな音のシンクロを、なんの衒いもなく古楽趣味に引き戻し、レシピ通りに料理してしまう。―― 一方、典礼に用いられるはずのコラールで紅潮した表現、というのが失礼なら活き活きとしてくるのである。録音時の状況によるもので、奏者の意図にかかるものではないだろう。
ゴルトベルク変奏曲に話は戻り、とにかく奇は衒わず破綻のない、他の曲の演奏に共通してみられる貴族趣味的なゆったりとした演奏である。(一部評で「繊細な」というが、丁寧にさらってはいるが繊細というイメージからは遠い。また彼自身が貴族の出身ではない。両親はビジネスマンだったというが、家にチェンバロが置いてあったということから、彼のステータスはある程度想像しうる) それはこの曲が持つ堅牢な構成―― 一定のバス旋律・単一の和声進行のリアリゼーション、全体のシンメトリー構造、またグールド風にいえば初期のころのような転調を試みない、一定の調性にもとづく禁欲主義的な曲――に支えられている感はいなめない。凡庸とも非凡ともとれる不思議な演奏である。楽器の復元から、奏法の追求、非平均律の調律や合唱・合奏が加わるときの問題などあらゆる思索を試みてきた、これらの成果からの1つの回答とみたとき、彼の演奏は凡非凡論をこえて、斯界が到達した金字塔であることには違いない。(勿論それらの試論は、いまだ充分な確定的な解答は得られていない。レオンハルト自身も恐らくそういうスタンスであろう。)
それにしても専門家にしか手が届かない種々の復元楽器、それも産地や製作者により、また同じ系統の楽器であっても1つとして同じ発音・規格にあてはまらない楽器をその都度取り出して、試演試論を繰り返し評価を加えるニッチな分野。閉ざされた世界のフリークたちのサロン(遊技場)を形成しているといってもよい。提示される演奏はこれらの背景的知識がなければ、どれも聞き手に充分伝わる名演奏とは言い難い。バロックハウスの中で現代の食材をガリア式・ゲルマニア式の調理で食べているような感触で、消化不良のまま、いつも私たちに満たされぬ思いが残るのである。
楽器の問題も含めこの時代の音楽を奏でた環境が現代社会に甦えれば、リスナーも奏者とともにその曲の良さを味わえようが、地理的な条件を含め、すでにその後の時代/数世紀の歴史がその上に積み重なっている。もはや望むべくもないことである。この中でどのようにリスナーが「ピリオド」の限定の中に入ってゆくのか、あるいはある種の壁が立ち続けるのか。
最初も今も問題はただ1つなのである、
なぜピアノでバッハを弾いてはいけないのだろう。この理不尽な状況。
なぜウィーンフィルがバッハを演奏できなくなってしまったのだろう
古楽というのは不可解な世界を築き上げてしまったものだとつくづく思う。

Sony DSC-R1
processed RAW material by Image Data Converter SR
processed RAW material by Image Data Converter SR
庭先でふたたび薔薇が咲いた。
今日の写真の作り方は、写真雑誌でよく見られる撮り方を真似たもの。
もう一つ思い起こすのは日曜洋画劇場のバックに使われる赤いイメージ。
さて、そこで用いられる音楽が子供のころから気になっていた。
そう、ラフマニノフのピアノコンチェルト風の艶麗な曲である。気にはなっていたが、曲名が分からないまますでに長い時間を過ごしてきた。
ところが先日、ケーブルテレビで味わい深い洋画が放映されていた。
終わり間際から見始めたので映画の題名も分からないまま、ついつい引き込まれて見てしまった。どうやらある人物の一生を映画化したものらしい。
いくつかの紆余曲折を経て寂寥感さえ漂わす老齢の物静かな夫婦、夫の仕事は作曲家らしくピアノに向かって記譜をしている。病に冒された老いた妻が部屋から出てきて寄り添うようにすわり、そっと歌うように促がす。夫は「声が出るかどうか分からないよ……」といいつつ、哀愁に満ちた es-moll のアルペジオを紡ぎだす。
Strange, dear... but true, dear...
次から次へと転調してゆくアルペジオが、この老夫婦のめくるめく人生の歩みとオーバーラップ、いや、正確にはほとんど見ていないので想像させられるのである。
それどころではない。この主旋律って、長い間分からなかった日曜洋画劇場のエンディングテーマじゃないの!?
映画の題名は『五線譜のラブレター
ブロードウェイミュージカルの超有名どころの作曲家コール・ポーターの一生を描いたものである。調べると、そのままドラマになるような生涯を送り、亡くなるとすぐに一度映画化されていたそうだ。それにしてもこんな有名な人の曲だったなんてつゆ知らず……
日曜洋画劇場の方もどなたのアレンジ版か長いこと分からなかったらしいが、最近この方によってモートン・グールドのものだということが判明したらしい。(勝手にリンク。ごめんなさい)MIDIから楽譜も入手。これはピアノ1台2手で弾けそうもないので、映画版を耳コピすることにしよう。
どなたかが、長い間離ればなれになっていた恋人にあったような気分、と表していたが、私もそんな気分である。ここ数日浮かれて口ずさんでいます。ほとんど演歌になってしまっていますが……
ウニテル Unitel にはリヒターの「マタイ受難曲」の映像があり、昔 VHD という形式のメディアで販売されていた。(下記アドレスのレビューを見るとVHSでも出ていたようだ)
当時はビクターのこの形式とパイオニア & ソニー陣の LD が覇権を争い、お世辞にも映像の再生に適していたとも思えないVHDは消え去っていった。そこで私も含めて LD 化を待ち望んだリスナーも多かったと思うが、なぜかとうとう出なかった。
それがようやく陽の目を見る運びとなった。下記アドレス参照。

http://www.hmv.co.jp/news/newsdetail.asp?newsnum=511300042
ほか 「ミサ曲ロ短調」 「ヨハネ受難曲」 「ブランデンブルク協奏曲」、生誕60周年の際に制作された「カール・リヒターの遺産」 などのタイトルが一挙にリリースされる。(シューマンの交響曲も入っているンだな。凄い…)
リヒターの音楽にうち震え、死に涙した青春の日々に思いを馳せると、ただ嬉しいの一言である。
わが家の使わないDVDプレーヤー(もらいもの。世の中親切な人がいるもんだ)も久しぶりの出番になりそうだ。
みんなで感動しましょう。

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当時はビクターのこの形式とパイオニア & ソニー陣の LD が覇権を争い、お世辞にも映像の再生に適していたとも思えないVHDは消え去っていった。そこで私も含めて LD 化を待ち望んだリスナーも多かったと思うが、なぜかとうとう出なかった。
それがようやく陽の目を見る運びとなった。下記アドレス参照。

http://www.hmv.co.jp/news/newsdetail.asp?newsnum=511300042
ほか 「ミサ曲ロ短調」 「ヨハネ受難曲」 「ブランデンブルク協奏曲」、生誕60周年の際に制作された「カール・リヒターの遺産」 などのタイトルが一挙にリリースされる。(シューマンの交響曲も入っているンだな。凄い…)
リヒターの音楽にうち震え、死に涙した青春の日々に思いを馳せると、ただ嬉しいの一言である。
わが家の使わないDVDプレーヤー(もらいもの。世の中親切な人がいるもんだ)も久しぶりの出番になりそうだ。
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