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 Digital[な]空間 ― 移ろいゆく現象世界に歩みをとどめつつ

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これはもしかして、ジョークなのか!?

ピアノソロ image10 (ピアノ・ソロ)ピアノソロ image10 (ピアノ・ソロ)
(2010/04/24)
大島 ミチル

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モートン・グールド Morton Gould 編曲のコール・ポーター作曲「So in Love」
少し前の世代であったら日曜洋画劇場のエンディング・テーマ曲として親しまれた曲だ。当ブログでも1度取り上げた。

この楽譜は売っていない。

そこで仁屋番頭も採譜したことがあるが、途中までで完成を見ないでいる。『五線譜のラブレター』(原題『De-Lovely』)というコール・ポーターの生涯を描いた、とても素敵な映画を見たのが始まりだったが、ここでの編曲も素晴らしく、これもまた途中まで採譜したが、途中で疲れてしまった。

そうしたら先日かなり古い記事だが、とうとうグールド版が採譜出版されたというネットの情報を見て、早速購入してきた。それが上。

モートン・グールド版はラフマニノフの第 5 ピアノ・コンチェルトといわれ、誰もがラフマニノフの曲と聞きまごう代物。

私が若い頃ラフマニノフは、世界の知られざる作曲家というレコードのシリーズがあり、その中の一人だった。ミヒャエル・ポンティが演奏している「ショパンの主題による変奏曲」などは、独特の解釈が振るっている繊細な録音だった。その後1980年代に入ると、生誕100年を祝って復興運動が興り、ラジオでも盛んに取り上げ喧伝されるようになり、今ではすっかり定着した感がある。

ところがラフマニノフはアメリカに亡命していたこともあり、無声映画時代ハリウッドに影響を与え、彼の地では絶大な影響力を持っていたという。ピアノ・コンチェルト2番は映画「逢いびき」(1945年)に用いられたことは知られている。この映画はイギリスのものだが、ラフマニノフの認知度が高かったことが予想される。(これを演奏しているアイリーン・ジョイスという女流ピアニストは、ヴィルヘルム・バックハウスが見いだしてピアニストになることを勧めた)モートン・グールドも、若い頃は無声映画のピアノ伴奏で生計を立てており、ラフマニノフを慕っていたという。それがこの編曲につながっている。

ところが件の楽譜は、冒頭のホルンはともかく、序奏のアルペジオから既に原曲とは異なっている。ことに主題にはいると、そこに記されていたのは、「革命」エチュードのアルペジオのパクリであった! 主題の再提示部は、メロディーはオクターブ、転調までしてまったくの「革命」……ということで仁屋番頭は頭に来ている! ラフマニノフのオマージュだった曲をショパンで茶化してしまうとは。羊頭狗肉とはこの事だ!

と思いつつ、今日も譜面を見ながらドタマにきていると、「いやこれは。ココマデやるからには編曲者のジョークだろう」ということに気づいた。そもそもこの曲が、まったく「革命」で弾けてしまうとは気がつかなかった。まるで水戸黄門の「ああ、人生に涙あり」と「どんぐりコロコロ」の関係ではないか。そこに気づいたアレンジャーの村上由紀氏はやはりただ者ではない。恐らく確信犯であろう。氏のウィットに敬意を表しながら、この手の新たなる楽譜の探索をし続けるハメになった。

荒野の旅路はまたまた続く。

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  1. 2013/02/05(火) 21:44:44|
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ピアノのメトード

Steinway & Sons 社のフルコン。斜めに張られたブリッジが特徴

information
modelCanon EOS 5D Mark II
LenseEF24-105mm f/4L IS USM
SoftwareDPP 3.8


甥っ子が幼稚園で課外授業の「ピアノ」をやり始めた。
最近の幼稚園は、私たちの時代と違って色々あるんだなぁ、と思う。

ついては私が夜中にカチャカチャやっているオモチャのキーボード(5オクターブ半)を、自宅練習用に貸与することになった。
甥っ子は大喜びで持って帰っていった。

フランス式かどうかは知らないが、最近の時流にしたがって、初めから両手で弾いていくというレッスンだという。今は片方 3 本(両手で 6 本)の指を使って練習しているらしい。

甥: 今は 3 本で練習してるの
親: ヘーッ、そうなの!
甥: 次は 4 本なの
親: ヘーッ、すごいね!
甥: それでね、次は 5 本、6 本 7 本 8 本 9 本、10ポ~ン!
 (^_^;)
親: 指は 10 本までしかないの。それじゃぁ 20 本になっちゃうよ


「まだ足の指がある」と言い張る甥であった。

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  1. 2010/06/22(火) 17:48:59|
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J.S.Bach : 『ヨハネ受難曲』 BWV 245 を探して


バッハ:ヨハネ受難曲バッハ:ヨハネ受難曲
(1991/10/25)
カール・リヒター(指揮) テッパー(ヘルタ) リアー(イブリン) ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団

仁屋番頭のレファレンス。
でも今回はピリオド演奏の話。
この録音については永遠の未評価としておきたいのです。


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J.S.バッハの受難曲は『故人略伝』によれば合計で 5 曲が作曲されたといわれ、そのうち 2 曲、『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』のみが現存している。

失われた曲のうち『マルコ受難曲』 BWV 247 は哀悼カンタータ 『侯妃よ、さらに一条の光を』 BWV 198 と「ミサ曲 ト短調」 BWV 235 の合糅パロディであることが分かっているので、そう思ってこれら 2 曲を聴くと、「マルコ受難曲」のおおよそが……なんてことはなく、これはこれでとてつもなく完成度の高い美しい名曲で、痺れてしまう。

「ヨハネ受難曲」は、一昔前は人類の文化遺産ともいうべき名曲「マタイ受難曲」の陰に、一歩遠慮がちに取り沙汰されるのが普通だった。一方で熱烈なファンが多かったのも事実で、かくいう仁屋番頭も、冒頭合唱を「合唱曲はかくあるべし。これがクラシック」だ、なんて偉そうにいってたりした時分もあった。

それでも
なんでマタイがあるのにヨハネを持ち出すの? マタイのほうが名作、というのは世の評価で立証されているじゃない
な~んていわれると、合理的説明もできず、だまるしかなかった。

近年はバッハ自身が 4 度にわたって改訂していたことも広く知られるようになった。
その理由の 1 つとして、歌詞の中に妥当ではない部分があったらしく、市議会による圧力があったようだ。「さんざん演奏してきたのに何を今更……」といいながら、バッハはこのときは演奏中止。その後になお手を加え続け、晩年になり上演し、生前中の演奏回数は 4 回に上る。
このことからもこの曲はバッハが手塩にかけており、いかに魅力的であるか……と語ることができる。

演奏はもちろん、カール・リヒター指揮、ミュンヘンバッハ管弦楽団 / ミュンヘンバッハ合唱団のものが歴史的名盤であり、仁屋番頭にとってのかけがえのない盤。

バイエルン州のドイツ人たちにいうと、田舎の人たちは「馬鹿野郎!ここはワーグナーの本拠地だ」と一蹴される。これをミュンヘンでいうと、「ここはリヒターの本拠地だ」と歓迎される。この雲泥の差は何? という感じ。

さて、いくら名演とはいえさすがにピリオド演奏全盛の時代、いささか古びてきた。それと、それはさておいて、新しいものも聞きたいのである。


ヘレヴェッヘ指揮:コレギウム・ヴォカーレ
Philippe Herreweghe : Collegium Vocale Gent



バッハ:ヨハネ受難曲バッハ:ヨハネ受難曲
(2002/03/27)
ヘレヴェッヘ(フィリップ)コレギウム・ヴォカーレ

★★★★★

顔ともいうべき冒頭合唱部が別のコラールになって聴けないものの、演奏は素晴らしい。旧録音の再発売を望んでいたが、現在この再録音も入手しにくくなっているようだ。新録音が……なんてことは今更ないだろうな。

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フィリップ・ヘレヴェッヘが、マタイの 2 度目の録音にのぞんだとき、初録は、残響音が長い教会でそれ用に録音したが、経験を積み重ねていくうち、プロテスタント音楽の空間がもっと乾いた響きで演奏されるべきことが分かって再録した、と明らかにしている。この再録の演奏は素晴らしいものだった。

そこでヨハネも、ヘレヴェッヘに期待した。


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  1. 2009/10/09(金) 18:48:46|
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初 Apple

とは何のことはない、iPod nano を入手した。

PC は MS-DOSWindows と使用してきたが、アップル Apple マッキントッシュ Mac はオシャレだなとつねづね思っていた。

Windows にはすでにアプリケーションの資産があるし、番頭の仕事にはデータベースが必須だから Mac に移行することはできなかったが、アクアあたりからなら OS をいじっているだけで楽しそう。

閑話休題 ―― 社会人になってからは、外国語の勉強は NHK の語学講座だけが頼みのツナだが、それも忙しくてやらない。

ある日教材の裏に、サン電子 トークマスター TalkMaster なる広告を見つけ、「これだ!」と思った。だが価格も高く、なぜか書店でしか売っていない。内蔵メモリが 1GB 前後のものはちょっと手が出せないほどだ。

そこで iPod Walkman で何とかならないかと思う。
だが、単体で録音はできないし、トークマスターのように NHK のラジオ講座の録音に特化した製品はこれしかない。その間類似の商品の発売もあったが、なんとなく今ひとつ。

図書券が少しあったのでこれを利用して、おまけ程度に内蔵メモリが入っている(内蔵メモリが無いタイプといった方がよい)モデルを手にした。


トークマスター TalkMaster

英語、ドイツ語、基礎編、応用編、ビジネス編
…… 1 日数講座であろうと 1 週間の特殊な番組編成でも、どのようにも録れて、そのうえ再生速度調整、練習録音モードなどあって「鬼に金棒」のような機械なのだが、欠点がいくつかある。

1) バッテリーがもたないこと
充電して2~3日の講座をタイマー録音、移動時間にまとめぎきしたりすると、夜の講座はバッテリー切れで録音されていなかった、なんてことはしばしば。
(番頭のモデルは、左の写真より1つ前のモデルです。したがって現在バッテリー持ちは改善されているかもしれません。 (今見たら、よけいにもたなくなっているようです)。次項にあげた音は、相変わらずのようです)

2) 音が悪いこと
外部スピーカーもさることながら、イヤホンで聴いていてもよく聴き取れないことがある。
音もデフォルトの 32 kbps では、再生音が???、スロー再生したときの音飛びも気になる。最低でも 64 kbps を設定した方がよい。

3) また携帯できる というのが以外に落とし穴
地下鉄移動中にタイマー録音がはじまり、その時の放送は「砂の嵐」となる。
出張中に携帯したら、異なる周波数放送地域で「砂の嵐」が録音される。自宅に置いてきても、出張中にバッテリー切れだったろう。クレードルに置きっぱなしという芸当は怖くてできない。


EOS 30D  EF-S 17-55mm F2.8 IS USM
processed RAW materials by DPP 3.2
【出張中】





というわけで、トークマスターは録音用タイマーと割り切り、再生用にもう 1 台あるのがベストと決論し、同じ MP3プレーヤーである iPod nano を初体験することになった次第。

やっぱりオシャレ
音はソニーの方が評判がよいみたいですが、アップルの魅力には勝てませんでした。
一年分の講座を入れて、同じソースファイルなんですけれど、こちらの方がいくぶん聴き取りやすい。ついでで音楽 CD もいれて……。

2 年前のドイツ行きは、実は ZDF (ドイツの第 2 公共放送)が取材に来ていてちょい映り程度に報道されました。後日、テレビ局のデータを譲ってもらい送られてきていたが、再生方法が分からないで放置……。

さてさて、このたび PC も新調して DVD プレーヤーも入っているので、比較的ヨーロッパの規格を網羅しているというソフトを紹介してもらい、海外サイトからダウンロードしてみたら見事に再生!。これを iPod用 にMP-4に変換して……おおっ、再生できた、これでみんなに見せられる……と、毎日感動して暮らしています。

いやぁ、 iPod 、オシャレな上に便利ですね。


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  1. 2008/06/03(火) 21:43:46|
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リベルタンゴ Libertango

ピアノソロ アストルピアソラ ピアノコレクション (ピアノ・ソロ)ピアノソロ アストルピアソラ ピアノコレクション (ピアノ・ソロ)
(2000/12/21)
宮崎 幸夫

★★★★☆
技術的には初級~中級者向き。
もう少し音楽的充実度を求めるのなら、下の記事を参照のこと。それがピアソラの曲の音楽性にマッチしているか否かは疑問だが……。


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『リベルタンゴ』 Libertango はご存じアストル・パンタレオン・ピアソラ  Astor Piazzolla (1921 | 92)の出世作である。

ピアソラは今でこそギドン・クレーメル Gidon Kremer らの顕彰運動があって一流作曲家の仲間入りを果たしているが、仁屋番頭が子供の頃は、日本では知る人ぞ知るバンドネオン奏者/作曲家だった。

初めてピアソラの演奏を耳にしたのは NHK 放送の演奏会だった。

曲が終わると、間の悪いタイミングで拍手が起こる。やけに白けたノリの悪い演奏会の録画だったが、そこで展開されていた音楽は、甘い感傷的なメロディのタンゴ、ただその旋律の裏に剃刀のように前衛的な光を煌(きら)めかせていた。
ただのタンゴではない
子供の私にも何となくそのことは分かった。そしてこの曲だけはと走り書きをしたのは『ビジュージャ』 Biyuya という題。「おカネ」という意味である。このメモ帳は今でも手元に残っている。

当時の事情を語る出版物では、ピアソラがヨーロッパでかろうじて名をなした頃で、ほとんど無名の新人状態だったようだ。
それを勧進元はよく分からないがピアソラを招聘、紹介するためにNHKがお膳立てに一枚噛んだらしい。
そしてこの時ラテン系音楽の専門家たちを会場にお招きしたが、彼らもピアソラをほとんど知らない人たちだった、という。これを記録したのがその時のコンサートの映像だったとのこと。
今それを読んで、当時のしらけたコンサートの模様について、妙に納得した。モサリーニも NHK は積極的に起用し紹介につとめていたし、NHK はこういうところは先見の明があって素晴らしい。

さて、『リベルタンゴ』『ビジュージャ』なる名詞を覚えてショッピング。ピアソラのレコード探し。だが当時の輸入レコード屋さんには皆無。あるお店で個人輸入の形で入手できるか相談したが、
何人か集まればやってあげてもいいけど、キミ一人だと払えないよ。ご両親はこのことを知っているの?
とたしなめられて断念。(当時は関税も高く、現在のように世界各地のものが容易に輸入できる状況ではなかった) いい想い出である。

日本楽器に行くと、アンサンブル用とも曲のスケッチともなんとも言えない楽譜は時折入ってきていた。それも何かしら一曲が……という感じ。なんの曲か分からないものが多かったが、時折購入した。

そんな楽譜を眺めて、ピアソラという奏者は私の中に定着していった。

ピアソラ晩年、1980年代後半に入り、アメリカン・クラーベからキップ・ハンランのプロデュースにより、久しぶりに新譜を見る。『タンゴ・ゼロ・アワー』である。このアルバムは、それまでのものと違って録音が格段によい。初めてピアソラのアルバムが世間並みの録音の土俵にのったといえる。

以降このシリーズは、『ラ・カモッラ』などと続く。これと前後してモサリーニがバンドネオンで、管弦楽バージョンの『ブエノスアイレスの四季』をリリースしたり、クロノス・カルテットの『Four, For Tango』(『タンゴの四人』)、アサド兄弟『タンゴ組曲』など、細々とではあるがピアソラという音楽家を聴くしっかりしたレールが敷かれているのが見え始めた頃、ピアソラの訃報が届く。「もはやこれまでか」と思った、が、世界は私が想像したものとは違って動いていたらしい。

死後、彼の曲が再評価されて楽譜も CD も次々と出版・発売される。
  「あ、この曲有名」
  「あ、ここに楽譜の曲が入っている」
知人らに「わりとミーハーなところがあるね」と笑われようが何だろうが、昔手に入れられなかったものが、今労せずして目の前にある。ピアソラブームを冷笑する知人たちの目も気にならなかったから、我ながら驚いている。心底好きだったんだろうか……自分でもよく分からない。

『リベルタンゴ』は日本での再評価期、ヨーヨー・マ Yo-Yo Ma のチェロでの演奏がCMに起用されて広く知られるようになった。ピアソラ作品の紹介に努めたクレーメルはこの曲は録音しなかったようだ。

ピアソラは1980年頃、新しく五重奏団を組織し直した。
この頃からのメンバーであるピアノ奏者 パブロ・シーグレル Pablo Ziegler らも手伝って古い作品をリニューアルしていった。『リベルタンゴ』のニューバージョンは一言、「カッコイイ」のであります。即興性に富んだ前奏部がつき、ことに曲後半、自由なパッセージの合間にカタストロフィーを暗示させる和音の下降をともない、イタリア ヴェローナ Verona の円形劇場で行われたライブの録音(録音年時不詳。音は劣悪)を聴いていても会場の興奮が伝わるような演奏であります。(版によっては録音の情報欠落を補うために、観客の歓声・拍手をオーバーラップさせているものがあるから、あまりあてにはならないが……)

そこで日本でもこのバージョンを取り入れたアレンジ版の楽譜が多く出たが、どれも今ひとつの感を拭えなかった。ところが先日 Mrs. 仁屋番頭の楽譜探しにつきあって楽譜屋に足を運ぶと、宮崎幸夫編 『ピアソラ / ピアノコレクション』 (ドレミ音符出版社) 表紙に見覚えはあるが、中を見るとシーグレルバージョンの音の並びになっている。出版日は 2000 年。見落としてい……というより、すっかり忘れていたのだ。

もちろん忠実な採譜ではない。
あくまでも曲の雰囲気をソロピアノでどのように写せるかが至上課題なのであろう。そして他の編曲者版よりは原曲の容姿を留め、抑圧されてれいた意思が自由を得たときのような爆発的なエネルギーと、それが流れを形成したかのような全体のノリ、両者を崩させないアレンジで成功していると思う。

その他この曲集中『アディオス・ノニーノ』もよくできていると思う。この曲は、ピアソラ自身の手でピアノバージョンが筆録された数少ないものである。そのピアソラオリジナルバージョンも宮崎氏の手により校訂出版されている。(ラテン・アメリカ・ピアノ曲選 2 アルゼンチン編 CD付) ピアソラ・オリジナルとはまた違う味を出しているので両者ご参照あれ。


ソロ・ピアノのためのピアソラソロ・ピアノのためのピアソラ
(2007/12/07)
山本 京子

もう少し難易度が高いほうがよい方はこちらの楽譜が充実している。ただしアックスとシーグレルの連弾を思い起こすような編曲で私的にいまいちノレない……世間的にはこの楽譜のほうが評価が高いようだから、好みの問題か。
これ以前に山本女史は、4手バージョンも出版している。


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黒田亜樹 編曲
「リベルタンゴ」
黒田 亜樹(ソロピアノ用)

もう少し編曲を頑張ってくれていたら特選です。いい感じに仕上がっています。

ピティナは楽譜の販売もしているんですね。


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Live in Tokyo1982Live in Tokyo1982
(2004/06/23)
アストル・ピアソラ五重奏団藤沢嵐子

なんと! この初来日時の演奏が、CD 化されていました。レヴューによると、この時のマスター音源を NHK は破棄しており、ラジオ放送版の司会・通訳のトーク部分をカットしてのダビングということだそうです。


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  1. 2008/03/14(金) 22:10:23|
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レオンハルトのゴルトベルク変奏曲、と古楽

バッハ:ゴルトベルク変奏曲バッハ:ゴルトベルク変奏曲
(2005/06/22)
レオンハルト(グスタフ)
商品詳細を見る

★★★★☆


 夏も終わりに近づいてきた。

 少しゆっくりした時間を過ごそうと、久しく遠ざかっていた音楽鑑賞の世界に立ち戻り、CD を手に帰宅する。
 以前から聴きたいと思っていた グスタフ・レオンハルト( Gustav Leonhardt 1928.5.30- )の『J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲』である。(その他にも何やかや……ここはゴルトベルクで代表)

 レオンハルトという奏者、私はあまり好きではない。

 氏はアーノンクールらとともに、今日の古楽の地位を慥らめた功労者にして、不朽の功績を成し遂げた権威の1人であることは誰しも認める所であろう。

 古楽黎明期、これら少数派の支持する古楽は、現代楽器の奏法を否定し、バッロクボウ、ガット弦から始まり、ノンヴィブラート奏法、残響音たっぷりの宮廷を利用して、安定しない音を飽和させるスタイルの演奏を蔓延させていた。

 また他の楽器、例えばチェンバロは言うに及ばずオルガン奏者に対して、今日のピアノと同じように指を曲げて打鍵しているだけで失格の烙印を押すというような極端に排他的な態度をとり、はてはバッハのシャコンヌ冒頭はこの奏法では和音とは考えられないから、当時のアルペジオの記譜法がそれだったのだ、及びこれとは逆に中間部のアルペジオ部分が和音なのだ……のような陳腐な説さえも押し付けていた。このようなイデオロギーを擁した古楽界の人々の態度も白けたし、その結果オーセンティックとされて出される演奏/録音の音楽的魅力の乏しさに、可能性を魅つつ、音楽業界の多様化というのか、リリースされる録音の氾濫と輸入・国内版の区別無しのマーケティング……音楽鑑賞という日課から徐々に足は遠のいていった。

 そして台頭しつつあったレオンハルトの演奏。曲の流れを断ち切る小節ごとのアクセントの強調、J.J.クヴァンツの『フルート奏法試論』によるといわれる不均等な拍子を刻むスケール、恐ろしく不自然にアゴーギクに揺れるテンポ、場合によっては完全に転ぶ……かなり癖のある演奏だった。それも意図的なテクニックなのかどうかも分からない。このようなフルート理論を鍵盤楽器にまで敷衍していいのかどうか、専門家でも当否が別れているという。
 こうした奏法でも、この人の門下に連なるアンタイ Hantai など第二世代、もしくは第三世代でもう少し洗練された演奏を聴かせる人は少ないけれど存在する。(古典調律による合唱も、近年のものは秀逸だ)
 そんな理由でほとんどの録音は聴かず嫌いだった。

 昨今の古楽演奏は、当時とはまた異なる。
 ヴィブラートは全く否定されている訳ではないし、誇張したピリオド奏法は退行して、現代的感覚をともなった演奏に近づいた。ヘレヴェッヘの合唱曲を聴いているとあまりのロマンティックさに、リヒターを意識しているかと耳を疑ってしまう。
 そして一時期店頭に並んでいなかったレオンハルトの録音も、来日記念で廉価版がリリースされ、輸入盤の品数も結構な数に及んでいる。
 そんな時代の移り変わり中で、更めてピリオド楽器を用いたバッハを聴きたいと意欲も湧く。

 第1候補はパルティータだったはずが、次点のゴルトベルク変奏曲に手を伸ばす。
 ゴルトベルクの録音は、1.1953年 VANGUARD 2.1965年 Teldec 3.1976年 DHM Splendeurs(duetshe harmonia mundi. オリジナルはBMG) と数種類がある。今回入手したのは1976年版。古い録音は恐らく私の想像の範囲の中にあるであろうことも、この曲のこの版にした理由。

 演奏は中庸。
 例えばグレン・グールドの解説では、主題のアリアから唐突的に第1変奏に移る点を指摘している。一般的に変奏曲というのは、第1変奏は控えめに主題に従属しながら第2変奏につなげていく役目を担うが、作曲者はここではアグレッシブな挑戦を試みている、という理解になる。グールドのみならず他の演奏家たちも、彼らの演奏からこの変奏に同じような性格を読みとっていたことは理解できる。

 ところがレオンハルトは、主題と全く同じ流れのもとでこの変奏を始める。実に淡々としたものである。この傾向は全変奏を通じて流れているが、後半にかけてやや昂揚してくる。
 この奏者はコンサートでもそのような傾向だという。プログラム最初は控えめな調子で、後半にかけてのってくる。録音でもその傾向が反映しているのだと思う。それは他の CD では次のような感じで現れている。J.S.バッハのオルガンアルバムであるが、かの有名なトッカータとフーガ d-moll BWV565 この緊張をもたらすパッセージで始まる楽曲を、揚々とした雰囲気で弾きこなしてゆく。BWV548 にしても然り。教会音楽・バロック音楽という特権階級社会の穏和な空気を破る、天からもたらされた一閃の光線ともいうべきセンセーショナルな音のシンクロを、なんの衒いもなく古楽趣味に引き戻し、レシピ通りに料理してしまう。―― 一方、典礼に用いられるはずのコラールで紅潮した表現、というのが失礼なら活き活きとしてくるのである。録音時の状況によるもので、奏者の意図にかかるものではないだろう。

 ゴルトベルク変奏曲に話は戻り、とにかく奇は衒わず破綻のない、他の曲の演奏に共通してみられる貴族趣味的なゆったりとした演奏である。(一部評で「繊細な」というが、丁寧にさらってはいるが繊細というイメージからは遠い。また彼自身が貴族の出身ではない。両親はビジネスマンだったというが、家にチェンバロが置いてあったということから、彼のステータスはある程度想像しうる) それはこの曲が持つ堅牢な構成―― 一定のバス旋律・単一の和声進行のリアリゼーション、全体のシンメトリー構造、またグールド風にいえば初期のころのような転調を試みない、一定の調性にもとづく禁欲主義的な曲――に支えられている感はいなめない。凡庸とも非凡ともとれる不思議な演奏である。楽器の復元から、奏法の追求、非平均律の調律や合唱・合奏が加わるときの問題などあらゆる思索を試みてきた、これらの成果からの1つの回答とみたとき、彼の演奏は凡非凡論をこえて、斯界が到達した金字塔であることには違いない。(勿論それらの試論は、いまだ充分な確定的な解答は得られていない。レオンハルト自身も恐らくそういうスタンスであろう。

 それにしても専門家にしか手が届かない種々の復元楽器、それも産地や製作者により、また同じ系統の楽器であっても1つとして同じ発音・規格にあてはまらない楽器をその都度取り出して、試演試論を繰り返し評価を加えるニッチな分野。閉ざされた世界のフリークたちのサロン(遊技場)を形成しているといってもよい。提示される演奏はこれらの背景的知識がなければ、どれも聞き手に充分伝わる名演奏とは言い難い。バロックハウスの中で現代の食材をガリア式・ゲルマニア式の調理で食べているような感触で、消化不良のまま、いつも私たちに満たされぬ思いが残るのである。

 楽器の問題も含めこの時代の音楽を奏でた環境が現代社会に甦えれば、リスナーも奏者とともにその曲の良さを味わえようが、地理的な条件を含め、すでにその後の時代/数世紀の歴史がその上に積み重なっている。もはや望むべくもないことである。この中でどのようにリスナーが「ピリオド」の限定の中に入ってゆくのか、あるいはある種の壁が立ち続けるのか。
 最初も今も問題はただ1つなのである、
 なぜピアノでバッハを弾いてはいけないのだろう。
 なぜウィーンフィルがバッハを演奏できなくなってしまったのだろう
 この理不尽な状況。
 古楽というのは不可解な世界を築き上げてしまったものだとつくづく思う。


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  1. 2007/08/27(月) 17:30:00|
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