
デジカメになってから、これまでになくカメラを持ち出す機会が増えている。
意図的に増やしてもいるのだが、気軽に撮れ楽しい。その意味で「自然と」増えているといった感じなのである。
毎日ブログを更新する訳ではないから、撮った写真の多くはボツになる。こうして UP する写真もお見せできるほどの写真ではないのだけれども……
Sony DSC-R1
Image Data Converter SR で RAW 現像
ISO : 400
f3.5 AE
モード : Vivid
WB : 太陽光
焦点距離 : 24mm付近(35mm換算)

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Sony DSC-R1
ISO : 160
WB : 太陽光
露出:f8.0 AE
露出補正 : -0.7
MODE:スタンダード
彩度: +
37mm付近
閑話休題
Zeiss レンズは、同社の設計と厳しい検査基準をクリアーして製造される、といわれている。近年はこの規格を通して、国内メーカーに製造を委託しているものも多い。この DSC-R1 のレンズも、国内某メーカによるものだという。
こうしたメーカの一つに現在コシナがあり、Zeiss Ikon が復活されることになったのは喜ばしい。
この新 Zeiss Ikon のレンズは、同コシナ社によって生産されている。(但し 15 mmのディスタゴンと 85 mmのゾナーはオーバーコッヘンの本社製)。これらの作例を見ると、某雑誌「油絵の具の色のり」の比喩表現、私的にいえば一時期に見られた特有の艶というか雰囲気が、どうも失われているような気がするのである。
古いレンズの描写を再現するなど、アナクロなことを試みるはずもない。おそらく設計に起因するのであろう。時代的な描写と理解するしかない。その意味では「失われている」のではなく「払拭」されているといった方がいいのだろう。
DSC-R1 でも同様の傾向にあると思う。
しかもデジタルだからだろう、ローパスフィルタのボケを補正してシャープをかけている画像はシャープであっても「切れる」とはいいにくく、Zeissらしいともいえそうな抜けのよさは描写の薄さに直結する。どちらの表現が果たして適切なのか問うても回答もない、そんな危うい写りである。
レンズ一体型の意気込みは感じられるが、Zeiss でもあまり用いられない非球面レンズを4枚組み込んでの 10群12枚 5倍ズーム というのも異例である。
今の技術ではこれ以上望めそうもない、デジタルならではの課題が垣間見える今日この頃である。
場所は毎度おなじみの有楽町国際フォーラム。
上の写真は黒の面積が多いからか暗部にノイズがのっている。

Sony DSC-R1
Image Data Converter SR で RAW 現像
f11 AE
モード:リアル
彩度:+10
コントラスト:-10
焦点距離:24mm付近(35mm換算)
【3月3日追記】 写真が混乱していました。左記の日づけで整理し、このページを含む関連ページを更新しました。

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ブログ・カテゴリーの「街の情景」というテーマからは、サワイと題するべきであろうが、なんとなくアユタヤの響きに惹かれて題してみた。内容はあまり関係ないかも知れない。
数年前、ボランティアでタイとカンボジアの国境沿いのバンサワイという村に連れていってもらった。(バンは村の意味)
SVAというボランティア団体に参加してのこと。(ほとんど参加しないのであまり偉そうなことは言えないけれど)
日本のエビ養殖場によるマングローブ樹林の枯死、砂漠化、棄捨民のスラム化……
カンボジア難民の救済から始まった事業は、その後は教育支援を中心に、難民救済・災害救護、文化の保存と再伝搬など、東南アジアの社会救済に尽くしている。
首都バンコク
バンコクは発展したが、急速な近代化の影に、行政に見落とされた地方の人々が苦しむ。
これらの人々は戸籍から漏れ、国籍もない棄捨民になっている。近代化の象徴であるビル群の谷間に、点在する漆黒の闇が見てとれる。

われわれが行ったのは2月。
熱帯地方でもこの季節は夜ともなると冷え込みは厳しい。
バンコクから夜明けの電車に乗り、遠く電車に揺られ、お昼頃に象祭で有名なスリンで降車。
常夏の国の初秋にあたるのだろうか。道中、日本風にいえば、残暑がやや残った時分の秋の気配さえ感じられる。
時折、ジッ、ジッと、鳴きおくれのセミの声が、にわかにこの地を踏んだ遠来の客に、夏もすでに過ぎたことを告げてくれる。

象の村:スリン
象祭で有名なスリンも、現在象はあまりいないそうだ。写真は観光用に常駐しているもの。開発の影響で象も少なくなり、象使いたちは近隣諸国に出稼ぎをする。祭の時には帰ってくるらしい。
スリンからは現地事務所のお迎えの車でさらに東を目指した。
到着したバンサワイでは開発僧(かいほつそう)と呼ばれる地元のお坊さんが直接指揮をとり、ボランティア団体はカウンターパートナーとして支援をしていた。事務所のほか、下の写真のお寺が私たちの本拠地だった。

この国では黄衣を身にまとった僧に、いたるところで出逢う。
時には街角で、時には遺跡で。托鉢をしていたり、散歩をしていたり……

以上、フジフィルム”写ルンです”
一番下のみ反射原稿から

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日本から寄贈された施設
図書館

教科書がないので、絵本などで文字教育をしているそうだ。国はタイ側だけれど、ポルポト時代に同じクメール民族であるこの地方をたよってカンボジア難民たちは逃げてきたのだ、との説明。
ちなみに一地方の村だけれども治水潅漑が行き届いて、途中立ち寄った他の街と比較しても清潔だった。開発僧たちが指示し、整備し、植林したからだそうだ。
学校で

支援者たちみんなで作った学校(幼稚園)の児童。
よく見るとポケモンの服を着たりしていてる。???
考えてみたら、私たちが(日本から)衣料支援も行っていたからだ。
遺跡
移動中にアユタヤ遺跡に寄った。

この古代都市の名称も、インド叙事詩「ラーマーヤナ」による。ラーマの国、アヨーディヤー ayodhyA から名づけられた。

仏教は健在だが、遺跡のブッダは過去の世界のものとして、私たちを前に語りかけてくる。
過去を踏み台にしている、汝らの有り様はそれでいいのか、自分自身に問いかけてみなさいと。

この平原が国境付近で、向こうに見えるのがカンボジア。
知らないことばかりである。問題の一つに日本が介在している。
庭先や路傍になにげなく自生しているバナナが印象的だった。
以上、フジフィルム”写ルンです”

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Sony DSC-R1
MODE:スタンダード
ISO:AUTO (160)
露出:f4.0 AE
彩度: +
37mm付近
Photoshop Elementsで補正
夜の東京駅はエキゾチックな雰囲気がする。
もともと大正浪漫(明治時代の設計竣工。大正3年開業)あふれる煉瓦造りの建造物だが、丸の内のオフィス街にライトアップされて、そのアンバランスなところが面白くもあり、今後どう融和されていくのか楽しみなのである。
全然関係ないけれど、
(^_^)v 祝! 荒川静香選手 女子フィギュアスケート金メダル !(^^)!

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今は手元にない DiMAGE A200 の画像
夜景モードで撮影 : ISO 200
夜景モードで撮影 : ISO 200

さて、周囲はオフィスビル、IDタグがないと入れない。
向こう正面のレストランの客となり何度かトライしたが、いいスポットが見あたらない。取りあえず駅前で手持ち撮影。
シーンセレクタの「夜景」は思っていたのと違うイメージになるので使わなかった。(夜の暗さが出ない。これは他社カメラでも同じ。参考に旧所持機で撮ったものを上げておく)
開発者インタビューによると、DSC-R1 はウエストレベルで搆え、シャッターは親指で切るように考えられている、としている。(すると液晶とEVFの切り替えスイッチはオートではなく、液晶モニターに設定しておくことになる)
お腹に当ててカメラを安定させ、AEモードは露出優先にするとハレっぽい明るさで赤い。マイナス補正をしてイメージに近い画にする。こういう点でライブビューは便利だと思う。更にPC上で彩度の低い画を作って2枚を合成した。ほかのパラメータは一切いじっていない。
ややねむく(ブレ)ノイズも大分のっているが、シャッタースピードは 1/2 。(Exifは 1/3) 手振れ補正がなくてもこれくらい行けてしまう。

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秋葉原から見えるおなじみの光景
子供の頃からこの光景を見るとなんとなくワクワクした


それは大人に買い物や交通博物館に連れられ一日が終わる頃、家路に向かう途中、この鉄橋が夕陽に照らされているのを目にし、幼な心に一日の楽しみを凝縮して朱に輝いているかのように見えたからかも知れない。
またこの鉄橋を越えたところには連れて行かれることがなかったことも、この橋のむこうには夕陽に象徴される希望があるとイメージされていたのかもしれない。
Sony DSC-R1

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橋の名の由来は幕府の学問所:昌平黌(昌平橋学問所)に由来するという。今の湯島聖堂がその場所である。官学たる儒学を教えていた。それから察すると、少し距離がある。室町期には芋あらい橋といわれたという。(写真は昌平橋から見た万世橋)
昌平黌は今の東京大学の前身の一つである。当時、駒込の吉祥寺には栴檀林という駒澤大学の前身があり仏教を教えていた。両者は距離が近いこともあって常に論争しあっていた。最初昌平黌に籍をおき、賭け問答で栴檀林の僧侶に負け、栴檀林に移り頭を丸めた原担山という僧侶がいた。彼は、後に東京帝国大学インド哲学科の初代講師となった。
原担山はエピソードも多い。
ある時連れだって遊行中、雨上がりの水たまりに進むに進めぬうら若き乙女が往生していた。すると担山、裾をたくし上げると、娘を抱きかかえ、向こうへ運んであげ、何ごともなかったかのように旅を続けた。
一緒にいた連れの僧は面白くない。しばらく行くと「なんだ貴僧は。僧侶のくせに娘を抱くとは」とつっかかる。(僧は戒律で、女性に触れてはいけない)すると担山は「なんだ、おまえさん、まだ抱いていてのか」と、何喰わぬ顔で答えたという。
これが無執著ということであり、空という教えなんだとか。。。

下を流れているのは神田川

Sony DSC-R1

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書道をたしなんでいる訳ではない。
達筆な訳でもない。
が、機会があればなるべく筆を握るようにしている。
道ばたでばったり旧知に遭う。上野の国立博物館でやっている書の至宝展の帰りだという。
どこかおかしい日本語を駆使して、その場は切り抜けた。帰宅すると新聞に連載されているので、家族は行く気配のない私を察して
と。行く気はなかったがこういう次第で行きたくなり、重い腰を上げた。

入 場
会場はたいへん混んでいた。
との声が時折係員から発せられる。
私はならんで進んでいるのに、若い女性から割り込みのような小言をもらうことしばしば。
自分だけが正しいという風潮は何とかならないか。とか思っているうちに強引に割り込んでくるお婆さんがいる。ここは寛容が一番。
どだいモナリザの時のような(時代的に愛知万博のマンモスかな)自動歩道を用意するなど、会場主も厳密にルールを定めている訳ではないのだから。。。中には割り込んだ上に、周囲の人間をみななぎ倒したくなった、と声を荒げているお嬢さんもいたようだ。凄い。

以上 Sony DSC-R1

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最初の難関は王義之。神筆『蘭亭序』がない。
無いはずはなかろうと、我慢して進んでいると(これがまったく進まないのだ。その間『喪乱帖』など大物はしっかり見ている)そのうちに出てくる。
蘭亭は代表格が八柱と呼び慣わされるように臨書・模書の数が多い。開催期間中三本が入れ替わる。いずれも定武の拓本である。しかも所蔵はみな台東区内ではないか……灯台もと暗し。神龍本(もしくはその系統)か褚遂良本が見たかったと思うのは私だけではあるまい。
虞世南、褚遂良もみて、好きな蔡襄も拝めた。ありがたや。と、ここで『九成宮』が無いことにまたもや気づく。画龍点睛を欠くはずもなかろうと目録を見ると前半までの出展。早い話、見損ねたようだ。
朱子の『論語集註』の自筆草稿もある。
こんなもの現存していたのか、と絶句状態に陥る。ところがこういうところは、まったく閑散としている。朱子学の聖典、世が世なら……と思いつつも、楽しめるのは書だけではない。来場者の声である。
朱子ばかりではない、米芾などみな、似たような冷笑ぶりである。
まあ、楽しみ方も人それぞれあってよろしい。
横か縦か
作品といえば、中国の書は書信だったり、記録だったりで横敷きの紙にしたためる。従って縦の字数は少なく横に延びていく。日本に来ると鑑賞するよう掛け軸型になって実用性失い、縦長になる。近代の中国書も展示していたが、この影響を受けて縦長の軸型になる。(同時に義之の影響からも離れているのがまた1つ見所) やはり実用の中に磨かれた芸術なのだろう、軸装の時代は今ひとつ面白味に欠ける。
1、2年前に久しぶりに展示された空海『風信帖』も今回お出まし。知人の書道の先生に、次はしばらくでないだろうと言われて見に行ったのは一体何だったんだろう。といいつつ、何度見ても好いものはよい。心の洗濯をするかのようである。

まとめ
1 月 5 日にとりあげたカール・リヒターのDVDも手元に届く。リヒターはこんな甘い声でささやいていたのか、と感動する。
彼が好んだレーガーも、パッサカリアがほんの一部分だけだったが収録されていて、始めて耳にできた喜びは大きい。
バックハウスの映像も出てくれば、ラフマニノフの映像も見れて、凄い時代になったものだ。
往時はバッハでもモーツァルトでも、その音楽を聴きたいがタメに、宮廷は聴きたい音楽家を雇って演奏させた。それが録音の時代になってわれわれは、好きなときに好きな音楽家の曲を聴けるようになった。今や映像で見れるという訳だ。
これで『九成宮』も見られていたら、一生かけて見なくてはいけないものをすべて見おえ、寿命を迎えていたかも知れない。何ごとも七・八分めが丁度良い。十成を忌むべし、古人は優れた言葉を残している。
以上 Sony DSC-R1

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達筆な訳でもない。
が、機会があればなるべく筆を握るようにしている。
道ばたでばったり旧知に遭う。上野の国立博物館でやっている書の至宝展の帰りだという。
行かれましたか?
いいえ、行かれていません
どこかおかしい日本語を駆使して、その場は切り抜けた。帰宅すると新聞に連載されているので、家族は行く気配のない私を察して
行かないの?
と。行く気はなかったがこういう次第で行きたくなり、重い腰を上げた。

入 場
会場はたいへん混んでいた。
割り込まないで下さい
後がつかえているので見たら前へずれて下さい
との声が時折係員から発せられる。
私はならんで進んでいるのに、若い女性から割り込みのような小言をもらうことしばしば。
自分だけが正しいという風潮は何とかならないか。とか思っているうちに強引に割り込んでくるお婆さんがいる。ここは寛容が一番。
どだいモナリザの時のような(時代的に愛知万博のマンモスかな)自動歩道を用意するなど、会場主も厳密にルールを定めている訳ではないのだから。。。中には割り込んだ上に、周囲の人間をみななぎ倒したくなった、と声を荒げているお嬢さんもいたようだ。凄い。

以上 Sony DSC-R1

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最初の難関は王義之。神筆『蘭亭序』がない。
無いはずはなかろうと、我慢して進んでいると(これがまったく進まないのだ。その間『喪乱帖』など大物はしっかり見ている)そのうちに出てくる。
蘭亭は代表格が八柱と呼び慣わされるように臨書・模書の数が多い。開催期間中三本が入れ替わる。いずれも定武の拓本である。しかも所蔵はみな台東区内ではないか……灯台もと暗し。神龍本(もしくはその系統)か褚遂良本が見たかったと思うのは私だけではあるまい。
虞世南、褚遂良もみて、好きな蔡襄も拝めた。ありがたや。と、ここで『九成宮』が無いことにまたもや気づく。画龍点睛を欠くはずもなかろうと目録を見ると前半までの出展。早い話、見損ねたようだ。
朱子の『論語集註』の自筆草稿もある。
こんなもの現存していたのか、と絶句状態に陥る。ところがこういうところは、まったく閑散としている。朱子学の聖典、世が世なら……と思いつつも、楽しめるのは書だけではない。来場者の声である。
どっかで見た名前だな。
何これ、作品じゃないじゃない
朱子ばかりではない、米芾などみな、似たような冷笑ぶりである。
ミミズみたい
これなら俺にも書けそうだな(仁屋番頭注:そりゃ無理だろう)
まあ、楽しみ方も人それぞれあってよろしい。
横か縦か
作品といえば、中国の書は書信だったり、記録だったりで横敷きの紙にしたためる。従って縦の字数は少なく横に延びていく。日本に来ると鑑賞するよう掛け軸型になって実用性失い、縦長になる。近代の中国書も展示していたが、この影響を受けて縦長の軸型になる。(同時に義之の影響からも離れているのがまた1つ見所) やはり実用の中に磨かれた芸術なのだろう、軸装の時代は今ひとつ面白味に欠ける。
1、2年前に久しぶりに展示された空海『風信帖』も今回お出まし。知人の書道の先生に、次はしばらくでないだろうと言われて見に行ったのは一体何だったんだろう。といいつつ、何度見ても好いものはよい。心の洗濯をするかのようである。

(自然が路上に描く。これもまた書なり)
まとめ
1 月 5 日にとりあげたカール・リヒターのDVDも手元に届く。リヒターはこんな甘い声でささやいていたのか、と感動する。
彼が好んだレーガーも、パッサカリアがほんの一部分だけだったが収録されていて、始めて耳にできた喜びは大きい。
バックハウスの映像も出てくれば、ラフマニノフの映像も見れて、凄い時代になったものだ。
往時はバッハでもモーツァルトでも、その音楽を聴きたいがタメに、宮廷は聴きたい音楽家を雇って演奏させた。それが録音の時代になってわれわれは、好きなときに好きな音楽家の曲を聴けるようになった。今や映像で見れるという訳だ。
これで『九成宮』も見られていたら、一生かけて見なくてはいけないものをすべて見おえ、寿命を迎えていたかも知れない。何ごとも七・八分めが丁度良い。十成を忌むべし、古人は優れた言葉を残している。
以上 Sony DSC-R1

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待ち合わせの交差点
小粋な陶磁器屋
陶器を見ながらまとうよ
そんな約束を思い出しながら小走りをする
ちょっと意地悪い 赤いシグナル
店先の灯りはほんのり暖かかった
Sony DSC-R1

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久しぶりに銀座に行く
といっても半分職務があるので思ったように動けない
お決まりのポイントでとにかく撮す
すると連れが気まずい顔をする イヤハヤ何とも。。。

私にセンスがないからか、お決まりのポイントだからなのか
いずれもどこかで見たような写真ばかり撮れる
それでも被写体がたくさんあるのはうれしい

Sony DSC-R1

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中央通りに面する粋な店
そろそろ灯りがともる時間となりました

ここもよく被写体になります
路上に映った灯りを何とか


次回はもっと功夫することにしよう
Sony DSC-R1

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水は
上から下へ
狭きから広きへ 自然に流れる
人は
低いところから高いところへ
光のある方に本能的に向かう
危険を避けるための生物的なものだろうか
その光の先に、一体何が待っているのだろうか
そこは出口とは限らないのに
人は
それでも進むことをやめない
Sony DSC-R1
モード:Vivid
露出補正:-1

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