早い冬を目前にひかえた、秋晴れの日曜日。
プリーンはサイクリングやウォータレジャーを楽しむ若者・家族で賑わう。
残り少ない光の日々に、太陽の恵みを受けようと……。
キームゼーのヘレン島岸辺では、子供が日がな一日石を投げて遊んでいた。
水面に跳ねる石の行き先が、彼らの未来に続いているような気がした。

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フィルム調V1
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プラハには「王の道」と呼ばれる2500mにわたる道がある。およそ4世紀にわたって王が戴冠式の時に使った道である。
その一角にギャラリーに通じる入り口が開いている。
ある画家の作品展示場になっていると聞いたが、特に看板などは出されていなかった。

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投稿ジャンルに「世界の表情」というのがあったので、昨日はそこに投稿してみた。「いいジャンル名だな、センスが光る」と思いつつ、何かひっかかかる。もしや私は勘違いしている?と心配になり覗いてみると、案の定、世界の人々の表情をつづる区分であった。
そのついでと言ってはなんだが「マンホール・消火栓」という欄を見つけた。お邪魔だろうが、私も投稿させていただくことに。
プラハは大抵このお城マークだった。
ゴミが気になる。

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プラハの赤い甍の波とフラチャニィの丘に聳えるプラハ城
華麗にして荘重とでも形容できようか
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華麗にして荘重とでも形容できようか
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チェコ旅行から帰ってきてもう1月以上が経った。
土産に買ってきたピルスナービールをようやく開ける。こんなものだったかなと記憶もすでに朧気になりつつある。
一口二口と飲み勧めるうちビールの濃くと爽やかな味わいだけは「そうそう、これこれ」と甦る。一方で旅の感動は日に日に薄れつつあるようだ。
私の中でチェコを象徴するのはプラハ城(フラチャニィ城。フラチャニと表記すべきなのかフラッチャニ・フラッチャニィとすべきなのかよく分からない。今回は参考文献のチハーコヴァー女史の著書の表記にしたがった)。何年か前にNHKのドキュメンタリーかなにかで克明に紹介されていた。まさか自分がこの国を訪れるとは夢想だにしていなかったので、番組の内容はほとんど覚えていない。が、次のような印象は残っている。
王政亡き後、城には大統領府がおかれ、大統領が国内に滞在していると正門をくぐった右手の館に国章が翻る。独特の精悍なスタイルの構築物に斜めに落陽がさし、淡い光の中で中世の面影を残す回廊で結ばれた部屋を政府の要人が行き来する姿は、歴史を刻むということの重みを映像で表象しているかのような雰囲気があった。
城を見学するのに順路はない。3ヶ所門があるというがどこから入っても好い。ただ聖ヴィート大聖堂などは本年9月1日より制度が変わり、入場料などが必要になったなどの説明があり、幹事としては追加徴収もできないので大盤振る舞いという運びになった。
正 門
正門左右の門柱には「戦う巨人たち」という彫像で飾られている。アーチ中央にはハプスブルク家の王冠である。
「〜巨人」はイグナーツ・プラッツェルにより18世紀後半に造られ、現在のものは20世紀初頭の複製だそうだ。

衛兵が見える正面画像はオンラインアルバムに載せたので、こちらは裏手より望んだ画像
向かい側にはフラチャニィ広場と場外の館が見える。右手の白い建物は大司教宮殿
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向かい側にはフラチャニィ広場と場外の館が見える。右手の白い建物は大司教宮殿
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これが正門に取り付けられている王冠
以下 processed RAW material by Photoshop Elements 3.0
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建国神話などによると、10世紀にジェヴィーン城があったという場所にこの城は建設された。(考古学的にはジェヴィーン城の実在はいまだ確認されていない)
最初キリスト教の洗礼を受けたボジヴォイ王が現在の中庭(第3の中庭?)にあたる場所に聖マリア教会を建立。その子ヴラチスラフ1世が聖イジー(ジョージ)教会をロマネスク風に造った。これら二つの教会から徐々に城として発展していったという。聖マリア教会は現在土台だけ残っているそうだ。もともと異教徒の埋葬の地にキリスト教のシンボルを建てるという構想がその発端である。

これはマティアーシュ門をくぐった第2の中庭
右手後方に大統領府の国章が翻っているのが見える
右手後方に大統領府の国章が翻っているのが見える
またボジヴォイ王の孫ヴァーツラフが930年にロマネスク風のロツンダ・聖ヴィートを建立した。1060年にはロマネスク風の教会堂に改築され、1344年にプラハが司教管区から大司教管区に昇格すると、ボヘミア王であり神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル4世は2人の建築家マティアース・ダラスとペトル・パルレーシュに依頼し聖ヴィートの大聖堂化に着手した。以来財政的な理由や政情の理由もあったのであろう、建築は20世紀初頭まで延々と続けられてようやく完成した。だから城の彫像には背広にネクタイを締めた近代の人物まで彫りつけられていたり、ステンドグラスにはアルフォンス・ムハ(ミュシャ)製作の一枚があったりする。
こうした過程の中で城全体としては13世紀頃に現在に通じる輪郭ができあがり、18世紀半ばにはマリア・テレジアが大改築をした。正門アーチの王冠はそんなハプスブルク帝国支配の名残であり、大統領府になっている館もマリア・テレジアが増改築した部分にほかならない。
鹿の谷
プラハ城の北には「イエレニー・プシーコプ」、すなわち「鹿の谷」とか「鹿の壕」と呼ばれる深い壕が延々と続く。

チェスキークルムロフでもクマの壕があったが、こういうのがチェコらしいともいえそうである。3羽のダチョウとか……動物をモチーフにするのがお好きなのね。
もともと城の西側も壕だったが、これもマリア・テレジアの大改修の時に埋められ、フラチャニィの広場になったということである。

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《参考文献》
・ヴラスタ・チハーコヴァー『新版 プラハ幻想 −東欧古都物語−』(新宿書房。1993.6.30)
・沖島博美・武田和秀・藤塚晴夫『プラハ・チェコ −中世の面影を残す中央の町々−』(日経BP企画。旅名人ブックス45。2002.7.15)
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アリスはウサギの穴を抜けて不思議の国へ――
―― 路地を抜けて私たちが向かったのは……
アリスはウサギの穴を抜けて不思議の国へ――
―― 路地を抜けて私たちが向かったのは……
おとぎの国――プラハをそう表現していたのは浦沢直樹のコミック『モンスター』だった。渡欧の前に思い出したように書庫から数冊の『モンスター』を引っ張り出してなんとなく読み返してはいた。べつにこんなセリフは気にもとめていなかった。
実際行ってみると世界各地からの観光客でごった返しており、おとぎの国からやや遠いイメージである。道中日本からの観光団体を私たち以外に見かけなかったのがせめてもの救いである。
今手元にチェコの古い本がある。古ぼけた昔の写真や絵が載せられているが旧市街広場の石畳も現在とは違う。同じ場所を同じ角度から私が撮った写真と比較しても電線(電話線?)がなかったり。人影もまばらで、こういう時代に訪れた人は、私たちとはまた違った印象を持っているのだろう。

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今回同行した人たちから徐々に御礼状が届き、出先で何人かにもあう。すでに通常の生活に戻って久しい。挨拶の中に
この間は楽しかった、ありがとう。まるでおとぎの国に行ったみたいだったよというのには、ちょっとビックリしている。現実の中を彷徨っていたのはどうやら私の方らしい。

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知床五湖(第1湖)
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北海道に所用があったので知床半島まで足を伸ばした。
旅行で行ったのは学生時代友人に誘われてのみで、その後仕事では何回か訪れる機会はあった。いずれにせよ道東は行ったことがなかった。
荷物が多かったので薄手のセーター1枚しか用意していかなかった。主たる訪問先の道南はそれで間に合ったが道東はこの日最高気温3℃。悪天候に予約を入れていた世界遺産指定の知床遊覧も欠航とのこと。
そこで羅臼峠を越えて開陽台展望台という所へ行くことになった。
途中羅臼峠で国後島を見る。この時には雪である。積雪こそなかったから記録には残らないであろうがおそらく初雪だとのこと。寒くてふるえが止まらない。

海の向こうに見えるのがわが国固有の領土・北方四島のうち国後島。
見えるのは珍しいとのこと
以下 processed RAW material by Image Data Converter SR
見えるのは珍しいとのこと
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案内をたのんでおいた人間は、エゾシカ・ヒグマ・キタキツネ、この三つを探しながら行けと指示するのが決まり文句とのことで、おまじないのように「エゾシカ・ヒグマ・キタキツネ」を繰り返していた。
エゾシカは立派なツノをはやした雄を最初に発見。雌は比較的多く姿を見せてくれた。毛も冬毛。ごわごわした感じが野性を感じさせてくれる。
間にオンナ川を案内してくれる。鮭が遡上してくるのを見ることができるそうだ。
体がところどころはげた鮭が息も絶え絶え登ってくる。

陽が落ちる頃なのでブレブレ写真。サケの位置はここ↓

もっと鯉の滝上りのように派手なのかと思ったら、川岸の流れの緩いところの底に、腹をつけて流されないように上がってくる。少し動くと長い時間動かない状態で息を整えているらしく、しばらくしてまた少し移動。この繰り返しである。段差のある流れまでたどり着きようやく激しい動きで跳ねるが、どうも越えられないで落ちてしまうことが多いようである。
海に出て生まれ故郷の川に戻る回帰率も5%程度だというから大変だ。
あれこれウロウロしている突然車の前を野性のヒグマが横切る。
道路を横断するタイミングを間違えたのか衝突寸前。向こうさんも慌てふためいてオロオロしている。動物園のクマと違って毛の艶も素晴らしくショールのような肩の茶色い毛が目に焼き付く。案内人も決まり文句で見つけて下さいといっていたが、野性を見たのは実は初めてだということだった。

残るキタキツネも程なくすがたを現し、これでおまじないはすべて成就。シマフクロウは無理そうだから釧路湿原でも寄って丹頂鶴でも後は拝みましょうか、と言っていたら、結構群れでいる。言った望みはすべてかなったようだ。(いずれも車窓からの写真)

もっともタンチョウは絶滅寸前だったのを地元住民の努力でここまで回復したそうだから、その努力に頭を下げずにはいられない。

湿原も時間がなく展望台からの見学だったが、周囲に町が押し寄せている。湿原の国立公園指定が認められていなかった時代には3万ヘクタール強あったそうだが、ようやく指定を受けたころには周囲の開発が進み2万6千ヘクタールにまで減り、現在乾燥化が激しく1万8千ヘクタールほどしかなくなったそうである。
豊かな自然がここでも失われつつある。

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processed RAW material by SILKYPIX Developer Studio 3.0(に差し換え 10/9)
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都会を離れて南に向かう
街でもなく雄大な自然でもなく、それほど発展もしていなく寒村でもない村々が時々視界に入る。
ドイツでもそうだが島国の日本と異なり高い山はあまり多くはなく、比較的平坦な丘陵が延々と続く。国土面積の割には広さを感じさせる。
途中下車して一息つく。
南ボヘミアの大地に立つ。
地球温暖化の影響か道中は夏の陽気だったが、この時ばかりは空も風も秋の気配をかいま見せてくれる。
もうすぐチェスケー・ブディェヨヴィツェ。バドワイザーの名前の基になった、ブディェヨヴィツキー・ブドヴァルの産地である。

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この線路はどこに続いているのだろう
ああ、モラヴィアに行きたい

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