たびたびとりあげたブルクハウゼン Burghausen。
そのブルクハウゼンにライテンハスラッハ Raitenhaslach (クリックでグーグルします)という土地がある。
街から南に数キロ離れたところだ。
ここにライテンハスラッハ修道院がある。
大して気にもとめていなかったが、アントン・ディアベリ Anton Diabelli(1781 | 1858)先生は、ここの修道院出身なのだそうだ。修道僧として。
ピアノをかじったことがある人には、ディアベリ先生はお馴染みの名前。むしろかじった程度の人に、親しみを覚える人の方が多いだろう。なにを隠そう仁屋番頭もその一人である。(笑) ベートーベンの『ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲』 ハ長調 Op.120で不朽の名を残すことになった。
この修道院でハイドンの弟のミヒャエル君と知り合い、ハイドンに師事。もちろんこの時還俗。やがてディアベリ商会を設立、楽譜を手がける。
シューベルトやリストの初期の頃の楽譜を出版したそうだ。
いやぁ、ブルクハウゼンもあなどれない場所ですね。
さらに、この修道院の中には、アルトシュタット系のホテルが経営するレストラン「クロスターガストホフ・ライテンハスラッハ klostergasthof Raitenhaslach」がある。
お味のほうは、汎ドイツ的で、特にここでいただくほどの意味はないが、聖堂のオルガン演奏で出迎えてくれたのはいい経験だった。
現地のパンフから一部抄出して翻訳してみました。
【余談】
仁屋番頭のPCが寿命を迎えようとしているみたいです。
しばらく更新不行届が続きますが、ご容赦のほどを……。
ブルクハウゼンのエントリー → 「ブルクハウゼン : Burghausen」
そのブルクハウゼンにライテンハスラッハ Raitenhaslach (クリックでグーグルします)という土地がある。
街から南に数キロ離れたところだ。

これはアルトシュタットホテルのHPから拝借
ブルクハウゼン周辺のホテルの場所が標されている
肝心のライテンハスラッハは、この地図をはみ出して
さらに左下のほうへ 約 4 Km ほど進んだところにある
ここにライテンハスラッハ修道院がある。

Sony DSC-R1
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大して気にもとめていなかったが、アントン・ディアベリ Anton Diabelli(1781 | 1858)先生は、ここの修道院出身なのだそうだ。修道僧として。
ピアノをかじったことがある人には、ディアベリ先生はお馴染みの名前。むしろかじった程度の人に、親しみを覚える人の方が多いだろう。なにを隠そう仁屋番頭もその一人である。(笑) ベートーベンの『ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲』 ハ長調 Op.120で不朽の名を残すことになった。
この修道院でハイドンの弟のミヒャエル君と知り合い、ハイドンに師事。もちろんこの時還俗。やがてディアベリ商会を設立、楽譜を手がける。
シューベルトやリストの初期の頃の楽譜を出版したそうだ。
いやぁ、ブルクハウゼンもあなどれない場所ですね。
さらに、この修道院の中には、アルトシュタット系のホテルが経営するレストラン「クロスターガストホフ・ライテンハスラッハ klostergasthof Raitenhaslach」がある。
お味のほうは、汎ドイツ的で、特にここでいただくほどの意味はないが、聖堂のオルガン演奏で出迎えてくれたのはいい経験だった。
現地のパンフから一部抄出して翻訳してみました。
ラテインハスラッハ Raitenhaslach
788 年の文書に “Raitenhaselach” として出てくる。
1146 年設立の北方バイエルンではもっとも古い修道院。1258 年に進軍の恩賞として Cicercian(どのような派なのかよく分かりません (^^;) ) 修道会に帰属された。
1693/1694年にローマン=バシリカ式であったのを、ボールド構造による壁柱で天井を樽型にして再建された。
その後造営改装を繰り返しながら徐々に発展、オルガンは1697年に設置。
【余談】
仁屋番頭のPCが寿命を迎えようとしているみたいです。
しばらく更新不行届が続きますが、ご容赦のほどを……。
ブルクハウゼンのエントリー → 「ブルクハウゼン : Burghausen」









