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プラハ城

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プラハの赤い甍の波とフラチャニィの丘に聳えるプラハ城
華麗にして荘重とでも形容できようか
Sony DSC-R1
processed RAW material by Photoshop Elements 3.0

チェコ旅行から帰ってきてもう1月以上が経った。
土産に買ってきたピルスナービールをようやく開ける。こんなものだったかなと記憶もすでに朧気になりつつある。
一口二口と飲み勧めるうちビールの濃くと爽やかな味わいだけは「そうそう、これこれ」と甦る。一方で旅の感動は日に日に薄れつつあるようだ。



私の中でチェコを象徴するのはプラハ城(フラチャニィ城。フラチャニと表記すべきなのかフラッチャニ・フラッチャニィとすべきなのかよく分からない。今回は参考文献のチハーコヴァー女史の著書の表記にしたがった)。何年か前にNHKのドキュメンタリーかなにかで克明に紹介されていた。まさか自分がこの国を訪れるとは夢想だにしていなかったので、番組の内容はほとんど覚えていない。が、次のような印象は残っている。

王政亡き後、城には大統領府がおかれ、大統領が国内に滞在していると正門をくぐった右手の館に国章が翻る。独特の精悍なスタイルの構築物に斜めに落陽がさし、淡い光の中で中世の面影を残す回廊で結ばれた部屋を政府の要人が行き来する姿は、歴史を刻むということの重みを映像で表象しているかのような雰囲気があった。



城を見学するのに順路はない。3ヶ所門があるというがどこから入っても好い。ただ聖ヴィート大聖堂などは本年9月1日より制度が変わり、入場料などが必要になったなどの説明があり、幹事としては追加徴収もできないので大盤振る舞いという運びになった。

 正 門 

正門左右の門柱には「戦う巨人たち」という彫像で飾られている。アーチ中央にはハプスブルク家の王冠である。
「~巨人」はイグナーツ・プラッツェルにより18世紀後半に造られ、現在のものは20世紀初頭の複製だそうだ。

061018-05.jpg

衛兵が見える正面画像はオンラインアルバムに載せたので、こちらは裏手より望んだ画像
向かい側にはフラチャニィ広場と場外の館が見える。右手の白い建物は大司教宮殿
Sony DSC-R1
processed RAW material by SILKYPIX Developer Studio 3.0


061018-06.jpg

これが正門に取り付けられている王冠
以下 processed RAW material by Photoshop Elements 3.0

建国神話などによると、10世紀にジェヴィーン城があったという場所にこの城は建設された。(考古学的にはジェヴィーン城の実在はいまだ確認されていない)

最初キリスト教の洗礼を受けたボジヴォイ王が現在の中庭(第3の中庭?)にあたる場所に聖マリア教会を建立。その子ヴラチスラフ1世が聖イジー(ジョージ)教会をロマネスク風に造った。これら二つの教会から徐々に城として発展していったという ―― ものの本によれば、藁葺きの茅のような建築物がイメージとして掲載されていた ―― 聖マリア教会は現在土台だけ残っているそうだ。もともと異教徒の埋葬の地にキリスト教のシンボルを建てるという構想がその発端である。

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これはマティアーシュ門をくぐった第2の中庭
右手後方に大統領府の国章が翻っているのが見える

またボジヴォイ王の孫ヴァーツラフが930年にロマネスク風のロツンダ・聖ヴィートを建立した。1060年にはロマネスク風の教会堂に改築され、1344年にプラハが司教管区から大司教管区に昇格すると、ボヘミア王であり神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル4世は2人の建築家マティアース・ダラスとペトル・パルレーシュに依頼し聖ヴィートの大聖堂化に着手した。以来財政的な理由や政情の理由もあったのであろう、建築は20世紀初頭まで延々と続けられてようやく完成した。だから城の彫像には背広にネクタイを締めた近代の人物まで彫りつけられていたり、ステンドグラスにはアルフォンス・ムハ(ミュシャ)製作の一枚があったりする。

こうした過程の中で城全体としては13世紀頃に現在に通じる輪郭ができあがり、18世紀半ばにはマリア・テレジアが大改築をした。正門アーチの王冠はそんなハプスブルク帝国支配の名残であり、大統領府になっている館もマリア・テレジアが増改築した部分にほかならない。

鹿の谷

プラハ城の北には「イエレニー・プシーコプ」、すなわち「鹿の谷」とか「鹿の壕」と呼ばれる深い壕が延々と続く。
061018-10.jpg

チェスキークルムロフでもクマの壕があったが、こういうのがチェコらしいともいえそうである。3羽のダチョウとか……動物をモチーフにするのがお好きなのね。
もともと城の西側も壕だったが、これもマリア・テレジアの大改修の時に埋められ、フラチャニィの広場になったということである。



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《参考文献》
・ヴラスタ・チハーコヴァー『新版 プラハ幻想 -東欧古都物語-』(新宿書房。1993.6.30)
・沖島博美・武田和秀・藤塚晴夫『プラハ・チェコ -中世の面影を残す中央の町々-』(日経BP企画。旅名人ブックス45。2002.7.15)

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