ブルクハウゼン その2 : Burghausen
2007-04-24(Tue)
初夏にブルクハウゼンに寄ったときのネガが出てきました。
デジタルICEをオフにしてスキャンするとノイズは減るのですが、ゴミか傷か、いろいろ入ります。フィルムのスキャンは難しいですね。
壕の様子が分かりますでしょうか? 歴史も踏まえてみますと、強者どもの夢の後、という寂寥の感をいだきます。
関連ページはこちらから → 「ブルクハウゼン : Burghausen」
2008.5.28 文章を補足
デジタルICEをオフにしてスキャンするとノイズは減るのですが、ゴミか傷か、いろいろ入ります。フィルムのスキャンは難しいですね。
ブルクハウゼン Burghausen の歴史を載せたパンフレットも出てきたので、拙訳ですが載せておきます。
ただ原文がドイツ語混じりの英文で、述語動詞がなかったり、形容詞と現在分詞だけで文章が連なっていきます。明らかなスペルミスなど誤植があったり……執筆者の意図を汲んで推測での翻訳が主になってしまったので、だいぶ間違っていると思う。分かる人がいたら教えて下さい。
| 7-8c | |
| 城は、ザルツァッハ川交易・通交の税関事務所や、また新たなる開拓居住の必要性から建設されたのが前史である。 そのことは何世紀ものあいだ、ブルクハウゼンの発展に重要な影響を与えている。 | |
| 788年 | タッジオIII世 公爵 Duke Tassio III がここに居を移し、カロリング朝の公爵領になった。 |
| 11-12c | |
| 1025年 | 帝国の領土としてはっきりとした最初の記述が、文献に登場する。 ――後の皇帝コンラ・ドII世 Konra d II が「ブルクハウゼン伯爵」に財政官を任命している。 |
| 1164年 | ハインリッヒ・ライオン公爵が城の所有権を得ている。 |
| 13C | |
| 1180年 | この頃 城は、すでに都市化しており、崖下の川辺流域にも居住が始まっている。 |
| 1225年頃 | 推定ではあるが、都市として憲章が与えられている |
| 1229年 | ヴィッテルスバッハ家の所有になっている。 第一次バイエルン割譲後、行政を開始。バイエルンの下級貴族たちの第2居住地として経済的発展を遂げる――特にHallein(オーストリア)との塩交易が街の活力源だった。 |
| 14c | |
| 1307年 | それまでの前都市的段階の、地方自治体規則とでも呼ぶべき法を改組し、街の憲章とする――ルートヴィヒ・ド・バイエル皇帝によって重大な特典として与えられている。 街は北と南(Zaglan と Spitvalvorstadt)に発展した。 |
| 1353年 | 火災 |
| 会計局として行政上の中心的存在となる | |
| 15-16c | |
| 隆盛と絶頂は、ハインリッヒ、ルートヴィヒ、ゲオルクという最後の3人の下級バイエルン公爵のもとでであった。1393〜1503年までのこの期間は「リッチな時代」と呼ばれる。 | |
| 1504年 | 市街火災 |
| 1505年 | ランツフート継承戦争後、4つの会計局のうち1つが新制バイエルンに組み込まれる。 |
| 1581年 | 司法権を譲渡 |
| 1594年 | 公爵領塩専売の導入により、主たる収入源の塩交易からの収入が減少――数世紀の長い期間におよぶ、行政・経済の停滞の始まり。 |
| 17-18c | |
| 30年戦争(1618〜48)とバイエルン継承戦争(1701〜14 および 1740〜45)期間の莫大な負担と困窮。 | |
| 1778年 | Innviertel(「イン川流域四分割譲」とでもいうのでしょうか。1777年までバイエルンに帰属していたこの地方が、バイエルン継承戦争後4分割され、そのうちの3地域までがオーストリア領に割譲されたようです。ナポレオン戦争後一時的にはもどりましたが、また元の木阿弥、現在にいたる……という理解で正しいのでしょうか?)の分割により、資源・経済圏であった後背地を失った上に、ブルクハウゼンは国境線の守備防衛都市になった。(バイエルン継承戦争後の Teschen 条約 1778〜79) |
| 19c ナポレオン戦争後の苦難 | |
| 1802年 | 政府の解体 |
| 1807年 | 1688年に認定されたHauptstadt(首都)の名称の剥奪――河川輸送の終了 |
| 1891年 | 駐屯の廃止 |
| ――ささいな地方都市に転落した | |
| 20c 経済再生 | |
| 1915年 | Wacker Chemical Factory が置かれる。 産業の発生により、新市街が誕生する――旧市街は個性豊かなままに |
| 1969〜71年 | 旧市街の整備として Uferstaresse の施設や堤防の建設 |
壕の様子が分かりますでしょうか? 歴史も踏まえてみますと、強者どもの夢の後、という寂寥の感をいだきます。
関連ページはこちらから → 「ブルクハウゼン : Burghausen」
2008.5.28 文章を補足
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