好きなのは永平寺
2007-07-22(Sun)

参拝客用参道の途中に川を挟んである祠
EOS 30D EF-S 17-55mm F2.8 IS USM
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諸仏如来、ともに妙法を単伝して阿耨菩提 を証するに、最上無為 の妙術あり。これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧 、その標準なり。
曹洞宗大本山永平寺。鎌倉時代の禅僧、道元禅師(1200-53)が開いた。
道元禅師は入宋後、1227 年帰朝、最初京都の深草に興聖寺を開いたが、比叡山により破却されたと伝えられている。ついで外護者の知行地、越前に入り、1244 年永平寺を建立した。
当初は大仏寺の名で呼ばれていたようだが、しばらくして後漢の明帝、永平 10 年(公伝による)に初めて漢文化圏に仏教が伝えられたことになぞらえて、わが国に初めて正式の仏教が伝えられたとの自負から、永平寺の名称となった。
その教えは現在まで受け継がれ、今でも 300 人を越える修行僧がここで仏道修行に精進している。
山門の額と聯。
聯には、
「家庭厳峻にして陸老の真門より入るをゆるさず。のようなことが書かれている。鎖鑰放閑 、さもあらばあれ、善財の一歩を進め来たるに」【家庭厳峻 不容陸老従真門入、鎖鑰放閑 遮莫善財進一歩来】
(永平寺という家庭は、仏祖の家訓に厳しく従い、どのような社会的地位のある人でもこの門より入ることは許さない。そうであるが、鍵はかからず扉もない、入り口は解き放れている、善財童子のような道心があればいつでも一歩を進めて入れるようになっている、なんの不足があろうか)
仏殿。
明治時代に宋代建築様式を模倣して建て直された。
伽藍の甍。
屋根に登れるともう少しマシな写真が撮れそうだが、それは無理。
廊下。
雲堂(僧堂)。
この建物中で 200 人近くが坐禅をし、音1つさせないで寝食を共にする。
道元禅師が修行した中国天童山景徳禅寺では、こうした禅院の在り方に儒者をして「三代の礼楽、ここに極まれり」と感嘆せしめた逸話を残している。
西の伽藍から東側を眺める。
明け方で、小雨が降っていた。本などの掲載写真によく見られるスポット。
永平寺の朝は早い。私たちは午前 3 時頃に起床とのこと。
修行僧に案内されて伽藍に場所を移し、法話を聞く。それが終わって朝のお勤めに出る。この読経の最中に夜明けになる。私たちは申し込んだ回向が始まるまでの時間、表に出させてもらえた。上の写真はそのおりに写した物。
回廊。
永平寺は主要な建築物の間を、回廊と呼ばれるこのような廊下状の構築物で結んでいる。中国の天童山景徳寺と雰囲気がよく似ている。
写真は朝の読経が終わって、参拝客用の宿舎に戻る途中で写したもの。宿舎に着くとようやく朝食になる。(朝が長い)
本当は撮っちゃいけないんだろうな……法堂(はっとう。本堂)。
建物を撮るのは自由とのことだが、「僧侶にカメラを向けてはいけない」と入り口に書いてあり、口頭で注意されることもある。皆さんご用心を。
木立の中の写経塔。
写経ブームに乗って、伽藍の少し外れた所に比較的近年建てられた。当初は一般からの写経を納めていたようだが、現在でも行っているのかは不明。
永平寺の向かいに愛宕山という山がある。この上から永平寺の伽藍群、見晴るかす限り広がる峰々が一望できる。30〜40 分ほど登れるので、時間にユトリのある方には寄り道していただきたいお薦めスポットである。
日本文化の礎ともなった、貴重な精神遺産だと思う。

















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