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レオンハルトのゴルトベルク変奏曲、と古楽

バッハ:ゴルトベルク変奏曲バッハ:ゴルトベルク変奏曲
(2005/06/22)
レオンハルト(グスタフ)
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★★★★☆


 夏も終わりに近づいてきた。

 少しゆっくりした時間を過ごそうと、久しく遠ざかっていた音楽鑑賞の世界に立ち戻り、CD を手に帰宅する。
 以前から聴きたいと思っていた グスタフ・レオンハルト( Gustav Leonhardt 1928.5.30- )の『J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲』である。(その他にも何やかや……ここはゴルトベルクで代表)

 レオンハルトという奏者、私はあまり好きではない。

 氏はアーノンクールらとともに、今日の古楽の地位を慥らめた功労者にして、不朽の功績を成し遂げた権威の1人であることは誰しも認める所であろう。

 古楽黎明期、これら少数派の支持する古楽は、現代楽器の奏法を否定し、バッロクボウ、ガット弦から始まり、ノンヴィブラート奏法、残響音たっぷりの宮廷を利用して、安定しない音を飽和させるスタイルの演奏を蔓延させていた。

 また他の楽器、例えばチェンバロは言うに及ばずオルガン奏者に対して、今日のピアノと同じように指を曲げて打鍵しているだけで失格の烙印を押すというような極端に排他的な態度をとり、はてはバッハのシャコンヌ冒頭はこの奏法では和音とは考えられないから、当時のアルペジオの記譜法がそれだったのだ、及びこれとは逆に中間部のアルペジオ部分が和音なのだ……のような陳腐な説さえも押し付けていた。このようなイデオロギーを擁した古楽界の人々の態度も白けたし、その結果オーセンティックとされて出される演奏/録音の音楽的魅力の乏しさに、可能性を魅つつ、音楽業界の多様化というのか、リリースされる録音の氾濫と輸入・国内版の区別無しのマーケティング……音楽鑑賞という日課から徐々に足は遠のいていった。

 そして台頭しつつあったレオンハルトの演奏。曲の流れを断ち切る小節ごとのアクセントの強調、J.J.クヴァンツの『フルート奏法試論』によるといわれる不均等な拍子を刻むスケール、恐ろしく不自然にアゴーギクに揺れるテンポ、場合によっては完全に転ぶ……かなり癖のある演奏だった。それも意図的なテクニックなのかどうかも分からない。このようなフルート理論を鍵盤楽器にまで敷衍していいのかどうか、専門家でも当否が別れているという。
 こうした奏法でも、この人の門下に連なるアンタイ Hantai など第二世代、もしくは第三世代でもう少し洗練された演奏を聴かせる人は少ないけれど存在する。(古典調律による合唱も、近年のものは秀逸だ)
 そんな理由でほとんどの録音は聴かず嫌いだった。

 昨今の古楽演奏は、当時とはまた異なる。
 ヴィブラートは全く否定されている訳ではないし、誇張したピリオド奏法は退行して、現代的感覚をともなった演奏に近づいた。ヘレヴェッヘの合唱曲を聴いているとあまりのロマンティックさに、リヒターを意識しているかと耳を疑ってしまう。
 そして一時期店頭に並んでいなかったレオンハルトの録音も、来日記念で廉価版がリリースされ、輸入盤の品数も結構な数に及んでいる。
 そんな時代の移り変わり中で、更めてピリオド楽器を用いたバッハを聴きたいと意欲も湧く。

 第1候補はパルティータだったはずが、次点のゴルトベルク変奏曲に手を伸ばす。
 ゴルトベルクの録音は、1.1953年 VANGUARD 2.1965年 Teldec 3.1976年 DHM Splendeurs(duetshe harmonia mundi. オリジナルはBMG) と数種類がある。今回入手したのは1976年版。古い録音は恐らく私の想像の範囲の中にあるであろうことも、この曲のこの版にした理由。

 演奏は中庸。
 例えばグレン・グールドの解説では、主題のアリアから唐突的に第1変奏に移る点を指摘している。一般的に変奏曲というのは、第1変奏は控えめに主題に従属しながら第2変奏につなげていく役目を担うが、作曲者はここではアグレッシブな挑戦を試みている、という理解になる。グールドのみならず他の演奏家たちも、彼らの演奏からこの変奏に同じような性格を読みとっていたことは理解できる。

 ところがレオンハルトは、主題と全く同じ流れのもとでこの変奏を始める。実に淡々としたものである。この傾向は全変奏を通じて流れているが、後半にかけてやや昂揚してくる。
 この奏者はコンサートでもそのような傾向だという。プログラム最初は控えめな調子で、後半にかけてのってくる。録音でもその傾向が反映しているのだと思う。それは他の CD では次のような感じで現れている。J.S.バッハのオルガンアルバムであるが、かの有名なトッカータとフーガ d-moll BWV565 この緊張をもたらすパッセージで始まる楽曲を、揚々とした雰囲気で弾きこなしてゆく。BWV548 にしても然り。教会音楽・バロック音楽という特権階級社会の穏和な空気を破る、天からもたらされた一閃の光線ともいうべきセンセーショナルな音のシンクロを、なんの衒いもなく古楽趣味に引き戻し、レシピ通りに料理してしまう。―― 一方、典礼に用いられるはずのコラールで紅潮した表現、というのが失礼なら活き活きとしてくるのである。録音時の状況によるもので、奏者の意図にかかるものではないだろう。

 ゴルトベルク変奏曲に話は戻り、とにかく奇は衒わず破綻のない、他の曲の演奏に共通してみられる貴族趣味的なゆったりとした演奏である。(一部評で「繊細な」というが、丁寧にさらってはいるが繊細というイメージからは遠い。また彼自身が貴族の出身ではない。両親はビジネスマンだったというが、家にチェンバロが置いてあったということから、彼のステータスはある程度想像しうる) それはこの曲が持つ堅牢な構成―― 一定のバス旋律・単一の和声進行のリアリゼーション、全体のシンメトリー構造、またグールド風にいえば初期のころのような転調を試みない、一定の調性にもとづく禁欲主義的な曲――に支えられている感はいなめない。凡庸とも非凡ともとれる不思議な演奏である。楽器の復元から、奏法の追求、非平均律の調律や合唱・合奏が加わるときの問題などあらゆる思索を試みてきた、これらの成果からの1つの回答とみたとき、彼の演奏は凡非凡論をこえて、斯界が到達した金字塔であることには違いない。(勿論それらの試論は、いまだ充分な確定的な解答は得られていない。レオンハルト自身も恐らくそういうスタンスであろう。

 それにしても専門家にしか手が届かない種々の復元楽器、それも産地や製作者により、また同じ系統の楽器であっても1つとして同じ発音・規格にあてはまらない楽器をその都度取り出して、試演試論を繰り返し評価を加えるニッチな分野。閉ざされた世界のフリークたちのサロン(遊技場)を形成しているといってもよい。提示される演奏はこれらの背景的知識がなければ、どれも聞き手に充分伝わる名演奏とは言い難い。バロックハウスの中で現代の食材をガリア式・ゲルマニア式の調理で食べているような感触で、消化不良のまま、いつも私たちに満たされぬ思いが残るのである。

 楽器の問題も含めこの時代の音楽を奏でた環境が現代社会に甦えれば、リスナーも奏者とともにその曲の良さを味わえようが、地理的な条件を含め、すでにその後の時代/数世紀の歴史がその上に積み重なっている。もはや望むべくもないことである。この中でどのようにリスナーが「ピリオド」の限定の中に入ってゆくのか、あるいはある種の壁が立ち続けるのか。
 最初も今も問題はただ1つなのである、
 なぜピアノでバッハを弾いてはいけないのだろう。
 なぜウィーンフィルがバッハを演奏できなくなってしまったのだろう
 この理不尽な状況。
 古楽というのは不可解な世界を築き上げてしまったものだとつくづく思う。


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  1. 2007/08/27(月) 17:30:00|
  2. die Musik
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

音楽鑑賞

音楽鑑賞は趣味の問題だと思いますので,レオンハルト氏の演奏が好きな人はそれを聴けばよいし,古楽奏法と異なる演奏が好きな人はそれを聴けば良いと思います.芸術に正解などないと思います.ただし,音楽の世界に職を持っている方には話は別かもしれませんが.
  1. 2008/07/23(水) 17:38:31 |
  2. URL |
  3. Hikari #-
  4. [ 編集]

コメント有難うございます

>音楽鑑賞は趣味の問題だと思いますので,レオンハルト氏の
>演奏が好きな人はそれを聴けばよいし,古楽奏法と異なる演
>奏が好きな人はそれを聴けば良いと思います.

まぁ そういうことですね。その上での試聴感想です。

ピリオド奏者でも、もっといろいろな方の録音をリリースして欲しいとの思いもあります。
  1. 2008/07/24(木) 09:09:57 |
  2. URL |
  3. 仁屋番頭 #GCA3nAmE
  4. [ 編集]

権威

グスタフ・レオンハルトで検索すると,大部分はレオンハルト氏を賞賛する記事に辿り着きますが,ここにはレオンハルト氏の批判があり興味深かったです.音楽は各自楽しく鑑賞すればよいと思っていますが,知らないうちに音楽界の主流派(権威)に取り込まれるかもしれないと反省させられました.私も機会があればこれまで聴かなかった演奏を聴こうと思います.

  1. 2008/07/24(木) 21:38:38 |
  2. URL |
  3. Hikari #-
  4. [ 編集]

「権威」は存在するのでしょう

>グスタフ・レオンハルトで検索すると,大部分はレオンハルト氏を
>賞賛する記事に辿り着きますが,ここにはレオンハルト氏の批判が
>あり興味深かったです.
そうですか。私は氏の音楽は生理的に受けつけず、ちっとも楽しくないのでして、同様に批判的な意見を持っている人は、結構いらっしゃるような気がします。Amazon だったか?見た憶えもあります。

ただ「権威」については否定しません。
左系現代思想家のユルゲン・ハーバーマスが、各時代ごとに妥当で効力のあるパラダイムとして「権威」が構築され存在することは否定できない、と語っていることは印象的で首肯させられます。やがてゆるやかな時代の移り変わりとともに新しい思潮が台頭し、古い権威は相対化され入れ替わって行きます。

古楽の場合はそれを主流とし自己正当化するのに急で、それ以外を認めようとしなかった点、救いがなかったような気がしますし、特殊な分野だなぁ、と思っています。
  1. 2008/07/24(木) 22:25:05 |
  2. URL |
  3. 仁屋番頭 #GCA3nAmE
  4. [ 編集]

ピアノによる演奏

以前,ここに投稿した者です.上の論説に

「なぜピアノでバッハを弾いてはいけないのだろう。」

とありますが,これについて質問があります.

現在,演奏会でバッハの曲をピアノによって演奏したり,ピアノによるバッハの演奏を録音するとかなりの批判を受けるのでしょうか? 日本では,ピアノの演奏技術の習得に際して,インベンションとシンフォニアや平均率をピアノで練習して,それらのピアノによる演奏が親しまれていると思うのですが.もしよろしければ,その辺りの事情や様子を教えていただけないでしょうか?
  1. 2008/09/12(金) 21:11:33 |
  2. URL |
  3. Hikari #-
  4. [ 編集]

Hikari さん今晩は。

まずは……
「ピアノ習得過程での複音楽の学習」と、ここのブログで申し上げている「専門家たちが音楽の探求上、演奏のあり方について、異見を呈している」こととは、別のものとして切り分けて考えるべきではないでしょうか。

そのことをお分かりいただいた上で……
20 世紀後半、古楽の演奏家たちはピアノでバッハやバロックを弾く事を批判して攻撃的な発言をしていたことは確かです。今はもう手元に資料も何もないので、お知りになりたいのであれば、ご自分で探されて下さい。

そして何よりも私は専門家ではありません。
演奏家がどう受け止めてきたかは、その道の人にうかがっていただきたいと思います。(私も率直なところを聞いてみたいものだ)
  1. 2008/09/13(土) 00:47:50 |
  2. URL |
  3. 仁屋番頭 #-
  4. [ 編集]

レオンハルトにについて

レオンハルトは古楽器の世界では誰しもが認める大巨匠ですが、極東の日本では例の雑誌『レコード芸術』上で、彼の名をよく知らない担当者が大胆にも批判を展開してしまって以来、彼に批判的な人もいると承知しています。だいたい日本にはミケランジェリを認めない評論家ってのがいますからね。
私も恥ずかしながらレコ芸に影響されしばらくは食わず嫌いだったのですが、バッハの二台のチェンバロの協奏曲ハ長調(セカンドチェンバロはアネーケ・ウィッテンボシュ)を聴いたとき天啓を受けたごとく叩きのめされました。私はこの録音よって西洋音楽のビートの本質に目覚めました。彼のスカルラッティのソナタ集など、まぁ先入観を捨てて一度は聴いて見る価値はあると思いますよ。
  1. 2009/03/31(火) 20:14:13 |
  2. URL |
  3. Geiger #.IoDzD1M
  4. [ 編集]

コメントありがとうございます

この CD 以来、比較的新しい録音をいくつかききつづけています。

古い頃の誇張した???な表現はなりを潜めて、非ピリオド感覚の演奏に近づいた、落ちついたものになってきているような気がします。音がころんだりするのは相変わらずですが。
(レオンハルト門下のドラ息子?アンタイが、氏の古い演奏によく似ていることもなんとなく分かってきました)

レコ芸の件はよく知りませんので、お教えいただきありがとうございました。私は初っ端にリリースされた曲を聴いて、聞くに耐えられない!という感情を抱いたほうです。

>レオンハルトは古楽器の世界では誰しもが認める
>大巨匠ですが、極東の日本では
私には、極東の人たちが盲従して権威をありがたがっているようにしか見えないのですが……。もう少しよく解釈して、巨匠としてまつりあげてそこにあやかっているとも。

レオンハルトや特定の雑誌に限らず、コープマンだったかアーノンクールでしたか……記憶が不確かなのですがテレビのインタビューで、非古楽演奏の不特定多数の演奏者に対し、悪辣なる言葉をぶつけ、「ブレンデルだけは許してやる。彼はわれわれに頭を下げ、古楽を学びにきたから……」(趣意)という発言をしたときにはビックリいたしました。

このような意識をあたりかまわず発散していたピリオド奏者の態度は、眉を顰めざる得ないものでしたし、歴史的な音楽素材(古典調律や楽器そのものの音色)に助けられた演奏には魅かれましたが、これらの演奏そのものは音楽的水準が低い、という感じが否めません。(この低さが、ひとえに楽器の性能によるものなのかどうなのか、素人の私には判断尽きません。)

その結果、モダン演奏派はどのような演奏をしても否定的に取り扱われ、例えばレオンハルトのカンタータ、コルノ・ダ・カッチャがオクターブ低い音で演奏し、伴奏の弦楽器よりも低い旋律になってしまっているにもかかわらず名演となり……音楽派閥ギルドとしかいいようがありません。

それでもおそらく私自身、「かたりー朗唱ー歌唱」の発展段階の朗唱にまだ近い段階の演奏表現であることを意識しての演奏と、当時の人々がこだわったトーンを聞きたくて、古楽を聞いているのだろうと思います。

ミケランジェリは嫌いではありません。好きな演奏もあります。(シューマン:ピアノコンチェルト、1942 / ベートーベン:ピアノコンチェルト Nr.5, 1988. これは相方のジュリーニの指揮とよくマッチしているせいもありますが。人にあげてしまって、後年無性に聞きたくて再入手しました)
いかんせんレパートリーも広くなく、演奏会には縁がないとあれば、それ以上の感想もありません。実演は録音では味わえない、大変素晴らしいものだったと聞き及んでおります。

以上、管見ですが、記憶違いの点もあると思います。間違っているところは指摘して下さい。
  1. 2009/04/01(水) 09:36:40 |
  2. URL |
  3. 仁屋番頭 #GCA3nAmE
  4. [ 編集]

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