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敦煌 01 莫高窟 その1


Canon AE-1P
New FD 35-70mm F4 New FD 50mm F1.2
New FD 300mm F5.6  New FD 28mm F2.8
もはや何をどれで撮ったか分からない。Top はとりあえず300mmかな?

『鳴沙余韻』でお馴染みの、敦煌:鳴沙山

昨日の新聞に、敦煌莫高窟(ばっこうくつ)千仏洞の壁画に印刷物があるのが発見されたと報道された。
印刷といっても、贋作とかの意味ではなく、天井部分の手の届かない部分などは当時の職人達が智慧を凝らし、印刷して貼り付ける技法を用いたとのこと。そのほか葦のペンで描いた「ペン画」も発見されたとのこと。
こうした技法は他国にはあることのようだが、中国国内では初めて発見されたという。



敦煌は学生時代に行った。
古い話である。

当時、NHK でシルクロードを放映、日中国交回復後、西域(さいいき)旅行がブームになったころである。

大学生だった仁屋番頭、学食で同席する他学科の友人が、彼らの分野の先生たちが、やや遅れてようやく解放になった敦煌に一番乗りしようという計画を立て彼ら自身も参加するという話しをされて、興味を持った次第。
分野的には重なる点があり、旅行に参加させてもらった。

旅行は大学の長き夏休みの終わり、9月の初旬である。
中国では夏の終わりの寂寥感もあり、秋も感じさせる季節だったと記憶している。
途中ゴビ砂漠敦煌などは、陽が落ちると零下になっていた。



旅程

当時の中国は、天安門事件以後の西洋的気風を導入しておらず、バリバリの共産主義国家。

人民は人民服を着て、旅行も国の管理のもとに動く。
「お土産に人民服を」と言われたが、大部分の品は既製品というものがなく、服はオーダーメイド。できあがりに 2 週間近くかかるというので、余っていた人民帽だけを購入した。
それでも感動したのは、漢詩的世界が拡がっていたからだ。
家々の玄関には、どんな地方のつぶれかけた所でも、見事な対句が書かれた聯(れん:漢詩を書いた板)が掛けられていた。文字が読み書きできない人も多いが、村の長老がその家にふさわしい詩を作って、新年初頭にはみな掛けるのである、と聞いた。

旅程もスゴイ。

今では「敦煌にひとっ飛び」ということも可能らしいが、当時の敦煌の飛行場は軍用。
住民に利用される週数便の短距離国内線を除いて民間に開放されるのは、あと十年近くの歳月を待たなければならない時代だった。
北京から入るか上海・香港から入って、ひたすら目的地を目指さなくてはいけない。

北京・上海はちょっと出せないような旅費になるという。
香港から入り、広州まで列車。広州から国内便蘭州へ。蘭州で寝台車に乗り、1泊 2 日ほどかけて酒泉に向かう。あいだゴビ砂漠を渡り、深夜でもやや明るい砂漠の街の一停車駅でプラットフォームに降り立ったり。晩夏初秋でも陽が落ちると気温は零下、映画の主人公になったような気がして、旅も今より大分風情があったような気がする。


列車の旅も、また愛嬌


♪ 線路は続くよ、どこまでも…… ♪

この寝台車がまたすごく、遥か彼方に祁連山を見て、麓に一連の旧式の汽車……と思いきや、われわれが乗っている汽車の先頭車両部分、それほどに長い。

寝台車はその末尾に付いており、かたや食堂車は先頭車両に付いている。
食事のたびに、長い長い道のりを隊列をなして食べにゆく。チョットしたハイキングである。
これじゃ、おやつ持って途中で休みながら行くようにしなくちゃね
などと冗談を飛ばすほど時間がかかった。
そんな長い車輌だからであろうか、最初、ゆっくりと駅をスタート。さぁ徐々に……、!?。徐々に……、!?。 いや、一向にスピードが上がらない。時速 40 km は超えていないであろう。2 日間この調子である。「これなら、2 日かかって当然だわ」というくらいの速度なのだ。


農耕風景にホットするのも束の間……


途中に点在する村々は、今、テレビや本で見ると大きな街になっている。当時は、人民は山に横穴を掘って生活している地域もあった。みんなで指さして、「次に戦争があったら中国に勝てないだろうな。こんな生活われわれにはできない」などと話しながら、次々に炸裂する窓外の風景に目を奪われたものである。

話しは前後するが広州近くに到るとき、、地上数十メートルまで延びた竹の足場に幌をかぶせ、国家主導のテストとして、特別経済地区を開発している最中であった。この幌で高層ビルや数㎞に及ぶ街全体を囲い、人民や外国人には見せないようにしているとのこと。このスケールの大きさには驚かされる。
知らしむることなかれ、統治すべし
というのは、今でも変わりがない。
この街を十数年後に訪れてみたときには、
ここはね、足場を何十メートルも竹で組んで作っていたんだよと
と話し、感動したものだ。


いざ敦煌へ


河西回廊 : ロバが牛に抜かれてゆく。向こうには立ちはだかる祁連山が見える

蘭州に着けば、借りてたマイクロバスに乗り換え、一路道なき道を、敦煌に向かう。当時は舗装された道路はなく、人民はロバに載って移動していた。このロバがまた曲者であることは、後で話す価値があると思う。

そしてようやくたどり着いた敦煌の賓館(まぁ、ホテルと翻訳しますかな。「敦煌賓館」という名称だったと思う)は、床は土間なのである。砂混じりのシャワー、ボイラーも低性能でお湯が出るのは最初の 15 秒くらい。あとは水に変わってしまう。夜は零下になる季節、たまったものではない。

そしてシャワーの度に、当然、床中ぬかるみに早変わり。

そんな敦煌で、当時の中国事情がよく分かる1番目の事件が起こるのである。
その2につづく……

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  1. 2008/01/16(水) 16:41:51|
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