敦煌 02 莫高窟 その2
2008-01-18(Fri)

敦煌 : 莫高窟
Canon AE-1P
New FD 35-70mm F4 New FD 50mm F1.2
New FD 300mm F5.6 New FD 28mm F2.8
敦煌の賓館(ホテル)では東京大学の某教授たち少人数の個人グループと同宿だった。
いやぁ、先生もですか!という声が交わされている。実はこのことが事件の背景にある。莫高窟千仏洞の見学は、日が違ってはいた。
取りあえず莫高窟千仏洞へ
タクラマカン砂漠に続く砂丘には、雨期に水が流れていた跡だけが残っている。
飛天も私たちがイメージするものは、敦煌で流麗な形に変化したもの。空を眺めて雲を見ると、なるほど飛天がイメージできる――百聞は一見にしかず。
敦煌の仏菩薩像は塑像といわれる様式で、泥を重ねて造形し、彩色を施したもの。
岩質が脆い礫砂岩で、彫像するには適さなかったためといわれている。
「シャッター音で壁画が崩壊する」とカメラは没収されるが、外からは OK 。
各窟も当初は前もって申し込んだところをいくつか見学できるという規約だったが、日本から学者さんが来たということで、当時は日本より 100 年くらい遅れている学問、あれも教えてくれ、これも教えてくれと、ものすごい数の窟を巡り、先生方はひたすら解説されていた。

敦煌で一際目を引く楼閣 第 96 石窟
中には世界で第三番目の大きさ、高さ35.5mの大仏(弥勒菩薩)が安置されています
(バーミヤンの大仏があったころは 5 番目だったそうだ)
青色はラピスラズリ鉱石を使用し、貴重なので元代以前は部分的に用いられる程度。かといえ全く使用されていないわけではないので、パット見で青が基調だ元代前後、赤が強いと魏朝、後はその度合いで間の時代を推定していく。あくまでも目安です。
軟禁の経験はありますか?
見学を終えて旅程は復路に入るはずっだった。
敦煌から、わずかに出る旅客機で蘭州だったか西安に向かうはずが、いつまでも待たされる。夜 10 時を過ぎ、私たちが乗る飛行機は欠航と知らされた。それどころか「宿をかえて、そして数日宿から出ないで」の指示が待っていた。つまり軟禁されてしまったのだ。
「日本から学者のグループが2つも来た、怪しい……」
ということらしい。それとも「西側の研究者というのはどうしようもない。過去の怨み、ちょっと悪戯してやれ」位の気持ちだったのかもしれない。
フランスのペリオ、イギリスのスタインなどはともかく、アメリカのウォーナーなどはいずれも中国の至宝ともいうべき敦煌の文物を簒奪していったという表現が相応しい。
莫高窟には壁画が大きく切り取られた、剥き出しの下地が生々しく残るが、出足送れたアメリカ探検隊は取るものがなく、壁画を剥ぎ取って持ち去った。彼らが眉を顰めるのは無理もない。
長いので2つに分けました
後半はこちらから
2008.01.19
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2008.01.19
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