
information| model | Canon AE-1P |
| Lenses | New FD 35-70mm F4 New FD 50mm F1.2 New FD 300mm F5.6 New FD 28mm F2.8 |
| Film | Fuji ASA100 : Nega |
陽関三畳陽関は敦煌の西南約 76 Kmの地、もう新疆ウイグル自治区というほどの甘粛省にある。
東にはゴビ砂漠、西にはタリム盆地・タクラマカン砂漠が広がっている。
敦煌から北に向かうルートが
玉門関、つまり敦煌より西北にあり、南に向かうルートが
陽関となる。
玉門関の南にあるから「
陽関」といわれた。(「陽」には「南」の意味がある)
陽関は、
王維(701?|761)の漢詩「送元二使安西」で有名だ。この詩は「陽関」もしくは「陽関三畳」という様式で歌われた。
王維 「送元二使安西」 (唐代)
元ニの安西に使するを送る
渭城朝雨浥軽塵 客舎青青柳色新 勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人 | 渭城の朝雨、軽塵を浥す 客舎、青青、柳色新なり 君に勧む、更に尽せ一杯の酒 西のかた、陽関を出づれば故人なからん |
♪ 一夜明け、渭城を潤わせた雨は、舞い飛ぶ土ぼこりを洗ってくれた 旅宿の柳も、青々と面目を新たにし、門出を祝っているようだ 君よ、さぁ、もう一杯酒を飲み干したまえ 陽関を一歩出てしまえば、西のかなた、友人もいないのだから ♪ |
- 「元二」は元家の二男の意味。
- 「渭城」は渭水を越えた長安の北西にあった街。
古来長安から西に旅立つ者をここから見送るとされた。渭水は水源を甘粛省:渭源県に持つから、船で旅立つこともあっただろう。 - 「安西」 正確には牋太湘垳酩椨瓠 陽関から北西に進み、新疆ウイグル自治区・トルファンの手前の城郭都市・高昌におかれた軍事拠点
|
そもそも唐詩――というか漢詩は、もとは曲がついて歌われた。
その曲は、流行歌の宿命という以前に、王朝がいくつも建っては消えてゆく世界、記譜法も確かではなかったこうした時代だから、メロディは容易に失われ、分からなくなる。このために漢詩は、韻や平仄がやかましく言われるようになった。
曲がなくなっていてもそのとおりに作っておけば、曲が分かった時にメロディーにのせられる、ということだったらしい。

古薫砂漠:タクラマカン砂漠の方に向かって
特に
陽関の曲調と歌詞は、辺塞の地(最果ての地)にたたずむ人の郷愁と異国情緒をイメージさせ、広く流行した。涼州詞が、同じように異国の雰囲気漂う辺境の地に派兵され、左遷させられた防人の悲哀を謳うことにより愛されたのと同工異曲だろう。
しかしながら、重要な要素のはずである曲そのものは早くに失われた。
そこで別の曲をあてがいながらも歌い継ぎ、長い期間にわたって盛んに作詞された。
また王維の作は、送別の代名詞ともなっていったようだ。
一方ごくわずかであるが、こうした漢詩の曲種の、伝承を絶やさぬように尋ね、採譜し、記録に残した人たちも存在していた。
そうした中に、失われてしまったはずの『
陽関』のバリエーションが数曲拾われた。
一頃それらを演奏できるように復元・録音したものが出回って専門誌をにぎわしたようだが、門外漢の仁屋番頭は、あいにく探してもお目にかかることはなかった。(これらと無関係の、怪しげなものは山ほどある)
音はいまだに入手できずにいるが、復元譜などの諸資料はその後入手することができた。たとえば明『釋字琴譜』採録のもの。(筝曲譜) この譜の場合、後代の編曲を受けているが、オリジナルソースは唐代まで遡れるもの、と推測されている。ノーテンションソフトで打ちこむと、次のようになる。(もうパソコンって、天下無敵!)

参考までにカシオの電子キーボードで音声ファイルにしてみた。楽譜をクリックすれば再生する。音律はもちろん三分損益法に相当するピュタゴラス音律で。(下記参照) 最近のキーボードはオモチャといって侮れない。 |
ここで面白いのが、
白居易(772|846)の『対酒詩』に次のようあり……
相逢うて、且つ酔いを推辞することなかれ。唱うを聴かん「陽関」第四声
……これに居易が次のように自注している点である。
第四声、勧君更尽一杯酒
この漢詩の「勧君更尽一杯酒」は最初に上げたように、第3句(第3声)である。どうしてこれを居易は第4フレーズとことわるのだろうか?
蘇軾(蘇東坡 : 1036|1101)の言によれば、歌い方に特色があったらしい。
1. 1句づつリピートし、最後まで来たらもう一度同じように歌う。
(合計すれば4回歌われることになる)
2. 1句ごと3回リピートする
3. 第2句の歌詞のみリピートする
『東坡志林』
第3の歌い方の場合、この詩の第3句目は、曲の第4フレーズに唱われるというわけだ。
漢詩も曲を知らないと、実は分かっていない部分があることに気づかされる。

級友2人。みんな若かった
左手奥に崑崙山脈が見える
他に明の謝琳『太古遺音』の拾譜(管弦楽譜)も伝承が古いものと考えられており、1句目と4句目がリピートとなっている。この譜の場合も、詩の第3句目が曲の第4フレーズになる。
こうして
陽関という曲は、リピートしたりして、さまざまに多重になるので「三畳」の語が付されて呼ばれることがあるのである。「三畳」の本来の歌い方はまだたずねる余地はあるが、すでに蘇軾のころは「三」という数字は概数になっていたのであろう。
中国の音律は『春秋左氏伝』など、古くからに三分損益法の原理が記述されている。これは西洋でいうピュタゴラス音律である。歴史が始まるや、オクターヴ 7 音の12 音階が確立されていたことをことわっておこう。
烽火台ここには史跡として烽火台と呼ばれるものが残る。
烽火は「のろし」のことである。

カメが寝そべっているというか、写し方に芸がなかった
明代、漢民族の勢力が回復した頃の再建である
この烽火台が何 Km おきかに設けられ、異常事態が発生すると、のろしを次々と上げて遠距離を連絡しあった。
砂漠のオアシス
タクラマカン砂漠方面のオアシスを望遠で
以前にも載せたもの。前回は反射原稿からスキャンしたものだったので、今回あらためてネガからとったものにしてみた。
お気に入りの写真だったが、ネガも大分変色してしまった。
偉そうに書いたが、呉 ξ東昇 著/古新居百合子・南谷郁子訳『中国音楽史』(企画:六芸社 発行:シンフォニア 1994)に多くをよった。 Amazon にはなかった、残念!!
- 2008/12/16(火) 18:33:29|
- 街の情景 Orient
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| コメント:3
古いネガですが凄く綺麗にスキャンできていますねー変色ということですが、、いやいや、、、ラチチュードの幅は流石です、、、仁屋番頭さんが上手いのだと思いますけど、、、
この時代の中国を是非訪問したかったですね、、
- 2008/12/20(土) 05:50:09 |
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- レオナルド #-
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レオナルドさん、書き込みありがとうございます。
取り置きの写真や、古い写真ばかりで恥ずかしい次第です。
>ラチチュードの幅は流石です
銀塩のラチチュードの広さが、望遠で生きている感じはします。
>この時代の中国を是非訪問したかったですね
今は大分かわってしまいましたよね。いい時代に行っておいてよかった。
月曜出発週末帰りですが来年は海外遠征の予定が入っていますので、実現できるように努力します。
- 2008/12/20(土) 22:19:58 |
- URL |
- 仁屋番頭 #GCA3nAmE
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