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城壁の街 : Rothenburg ob der Tauber その 3

リーメンシュナイダー Tilman Riemenschneider

城壁から見た聖ヤーコプ教会

information
modelCanon EOS 5D Mark II
LenseEF24-105mm f/4L IS USM
SoftwareDPP 3.6



仁屋番頭は、いつもいうように、欧州はほとんどドイツしか行ったことがない。
しかも南ドイツだけである。

そこで憶えたことは、「バイエルン」「ルートヴィヒ II 世」「ポテトとビールは南ドイツの特色である」ということくらいである。そのほかにもうひとつふたつあげるとすると、「ロマンティック街道」と「リーメンシュナイダー」ということになるのかもしれない。

トーマス・マンがリーメンシュナイダーの名前をあげているので、そこそこ有名だが、仁屋番頭はこれまで 1 度たりとも彼の作品にお目にかかったことがない。

そこで今回、聖(ザンクト)ヤーコプ教会の祭壇くらいは見ておきたいのである。

聖ヤーコプ教会内陣正面




内陣の正祭壇。裏に人がイッパイ集まって聖歌を歌っていた。

1466 年作の主祭壇「十二使徒祭壇」。リーメンシュナイダーのものより半世紀ほど古い。南ドイツで発達した「開閉翼扉式木彫祭壇」の典型的な作例。
彫刻家の名前は伝わっていないが、絵画の方はフリードリッヒ・ヘルリン、筐体は指物師ハンス・ヴァイデンリヒとある。

左端の彫刻はエリーザベト、隣に並んでいるのが教会の守護聖人である大ヤコブだそうだ。その隣が聖母マリア。

下には中央キリスト、左右に十二使徒の絵画。
左右に広がる扉画に、マリアの生涯が描かれている。

これが祭壇の裏面

裏面は大ヤコブの生涯。
「宣教と捕縛」「遺骸送り」「その遺骸が祀られているスペイン、サンチャゴ・デ・コンポステラ antiago de Compostela へ行く巡礼者」などが描かれている。

この画の背景は 1501 年の火災で焼ける前のローテンブルクのラートハウスだったり、同じくマルクト広場だったりする。

1968 年設置

主祭壇と身廊をはさんで向かい合わせとなっているのは、オルガンである。

1 階にあるリーメンシュナイダー派の流れによる祭壇―「マリア祭壇 Marienaltar」


マリア祭壇の正面下段の彫刻をアップ。写真には 1520 年の数字が写っている。この教会にはもう一つリーメンシュナイダー作の「フランツィスカ祭壇 Franziskusaltar 」(1490年作)があるはずだが、見あたらない

ティルマン・リーメンシュナイダーは、ロマンティック街道の周辺で活動した、後期ゴチック期の彫刻家である。

彼、もしくは彼の工房で制作した祭壇はすべてではないが無彩色が特徴的で、わずかにデフォルメされた人物群が独特の雰囲気を醸し出す。その作風はエルンスト・バルラハ(1870 | 1938)と一脈通じるものがあると仁屋は感じている。

彼の死後、その名前は 300 年近く忘れ去られていたが、1822 年ヴュルツブルク市の大聖堂の改修中に、地下から墓碑が発見され、歴史に再び姿を現した。

墓碑発見を契機として、この地方に残る多くの後期ゴチック期の彫刻が彼の作品と確認されたのである。
その後は、彫刻家としてだけではなく、ヴュルツブルクの市参事会員であり市長まで務めたことが分かった。

フランツィスカーナー教会(ヘルン・ガッセにある)。今回見られなかった「フランツィスカ祭壇」はこの教会にあったものと説明される


聖ヤーコプ教会身廊の彫刻


ステンドグラス

出身は北ドイツ・ハルツ地方のオステローデともザクセン地方のハイリゲンシュタットともいわれる。
貨幣鋳造のマイスターであるティルマンの子として 1460 年頃生まれる。

ティルマンは事業の失敗により、兄ニコラウスをたよって一家揃ってヴュルツブルクに移住する。
そしてリーメンシュナイダーは親方が誰かは不明だが、ここで彫刻職人として聖ルーカスギルドに加入した。

1485 年には、金細工師の未亡人ウーヘンホーファーと結婚しマイスターとなり、市民権を獲得している。(この年ルター生誕)

2 階におかれるリーメンシュナイダー作副祭壇「聖血の祭壇」 Heiligblutaltar 。中央上部の水晶の中にエルサレムより伝えられたというキリストの血が納められている。1499 - 1505 年の作。
筐体の方は指物師エルハルト・ハルシュナー
総高 10.83 m

1505 年 市参事、1520 年市長と、順風満帆の人生だったらしいが、ルターの「 95 ヶ条の論題」に端を発する 1524 年「ドイツ農民戦争」で、農民に同情的だったティル親方・市参事は、司教からの出兵の要請を拒否する。

農民側の敗北とともにコンラート III 世により罰せられることになる。八週間マリーエンベルク城に幽閉され、公職追放、私財の一部没収となり、失意とともに1531 年 7 月 7 日他界。

以後歴史のかなたに忘却された。

聖ヤーコプ教会尖塔

釈放後の作品は知られていない。


【参考文献】

芸術新潮 2005年 08月号芸術新潮 2005年 08月号
(2005/07/25)
不明

リーメンシュナイダーのことは、この雑誌で意識するようになった

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ロマンティック街道 (講談社文庫)ロマンティック街道 (講談社文庫)
(1989/11)
若月 伸一
古い本でもう売っていない。
この街道のことを知らない時分、表題が私の持つドイツのイメージから遠いので、興味本位で購入した。


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ドイツ・ロマンティック街道 (とんぼの本)ドイツ・ロマンティック街道 (とんぼの本)
(1987/07)
小谷 明坂田 史男
新しい情報も欲しくて購入。それなりに面白かった。発刊日を見ると今回あげた書籍の中でもっとも古い情報だったりする。

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ドイツものしり紀行 (新潮文庫)ドイツものしり紀行 (新潮文庫)
(2005/05)
紅山 雪夫
今回の渡欧直前に、書肆店頭で猛烈に宣伝していたので購入、現地に携行した。
結果的にほとんど使用せず、今読んで見ると ??? な記述が多い。特にドイツ語をご存じないらしく、地名などの発音表記の誤りが目につく。その他も推して知るべし、という本。


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