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ハンナ・アーレント Hannah Arendt の鑑賞

Heidelberg : 映画にはヤスパースは出てこなかったけれど、マァ、いいか……

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modelCanon EOS 5D Mark II
LenseEF24-105mm f/4L IS USM
SoftwareDPP 3.11



岩波ホールで単館上映をしている映画『ハンナ・アーレント』(監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ セテラ・インターナショナル)を鑑賞してきた。(以下、アーレントはアレントと表記)

忙しくて行く時間が持てなかったので無理かなぁと諦めつつ、新聞に盛況で入場できないとの記事が載り、「まだやっている!」と意を決して出発した次第。

アレントの著述は何冊か持っているが余り目を通していない。

全体主義・ファシズムなどをどうとらえたらよいのか気になってマークしていたのだが、晦渋な文体であるにはあるのだけれどもそれとも少し違う、評論でもない、哲学・思想でもあり、当事者・被害者でもあるという一種独特の思考方法に仁屋番頭が腑に落ちない箇所が多く、飲み込めないのである。

それでも仁屋の中の方程式は次のようなものである。

全体主義の起原)(イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さ)=悪の起源

全体主義が、帝国主義の時代、前時代の国民国家崩壊の要因となったという点は卓見だが、それが反ユダヤ主義にまで結びつけられる必然性はあるか?

日本も明治維新後以降一足飛びに西洋の近代市民社会を受用し全体主義の霧に覆われてしまったが、ここに反ユダヤ主義は導入できない。かといってそこに構造主義的な議論の展開が期待できるわけでもない。全体主義の悲劇から、帰納していった事柄を、逆に演繹的に位置づけてしまっているだけのような考え方に、ホロコースト当事者の主観という位置づけしか見えないのである。

母語の問題は18世紀以来のインド=ヨーロッパ語族の観念に基づく、今日ではあまり認められない当時の教養に属する部分であるし、「最後に残る思考/思想」はV.E. フランクル著『夜と霧』にも認められる。もしかしたらホロコーストを経験したドイツ系ユダヤ人が共有したソースがあるのかも知れない。

アレントは、ハイデガー師事の時代はともかくとして、亡命後の経歴の最初は新聞のコラム記事を書いて生計を立て、最後はアカデミックな領域での地歩を固めることになったと記憶していたが、映画では終止哲学者として描かれていた。思想に分野の垣根は必要がないが、いだいていたイメージとはやや異なった。哲学者と翻訳せず思想家としてくれた方がまだピンと来る。映画は英語とドイツ語が飛び交っており、劇中の登場人物も聴き取れないと言っていた。

1960年、手配中のナチのSS将校アドルフ・アイヒマンが、潜伏中のアルゼンチンの路上で、イスラエルの諜報機関モサドによって、拉致同然に捕らえられるところから物語は始まる。――アレント54歳の年である。彼女はこの 9 年前に、『全体主義の起原』によって第三帝国を西洋文明の中に位置づけることに成功し、すでに著名であった。プリンストンやハーヴァード大学の客員教授を経て、1959年にはハーヴァードの専任になっている。――

アレントはイスラエルで行われるアイヒマンの裁判に、雑誌『ニューヨーカー』に掛けあい、特派員として傍聴に行く。その報告は『イェルサレムのアイヒマン ― 悪の陳腐さについての報告』として連載され、やがて一冊の著作として刊行されることになる記事である。この記事は大きな疑義を呼び、シオニストやイスラエルの同胞に問題とされ、ひいてはアメリカの読者をも敵に回した。これをきっかけとして、人生の労苦を共にした友人たちを次々と失っていったという。

映画では多く語られないが、ハイデガーは戦後、自己のおこした現実社会での問題に固く口を鎖したままにおわり、劇中のアレントは、彼女に対するバッシングに見解を述べ、向き合うことを決意する。よくできた脚本だ。

第2次世界大戦でのユダヤ人迫害の悲劇から、亡命後のひとかどの地位……映画は、ようやく得たパラダイスでも安息を約束されなかった後半生を描いていた。人は何かを成し遂げるためには多くの犠牲を必要とするが、彼女の歩んだ人生は、一人の人間のものとして過酷すぎる。

暗い時代
  「彼は私が暗い時代に戻るのを恐れているの」
・友人
  「家族は神から授かる。でも友人は自分で選べる」
  「一つの民族を愛したことはない……私が愛するのは友人」

・人間より強いもの
  最晩年、ブロッケに語ったという言葉。恐るべしハイデガー
――とりあえず彼女の啓蒙をうけるいくつかのタームは獲得した。

映画館内でもそれらしき人物たちが席を占めていたが、彼女の「大衆社会」というものを思い出した。そこにいたわれわれは、彼女のいう大衆化された衆愚かも知れない。

もっと多くの劇場で見られるべき作品。あぁ、人間は悲しい。

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