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Deutsche Alpenstraße
【オーバーバイエルン Oberbayern】

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München
年年歳歳 花相似たり巡り廻って、また一年が過ぎようとしている。
歳歳年年 人同じからず 〈劉廷芝〉
あれやこれや……日々反省することばかり。だけれど自分は少しも進歩はしていない。
人生は回廊に似たり、と思うこともしばしば。
いつもと同じような一年を過ごし、人生を無為に送っているような気もするが、
周りは確実に進んで歴史を紡いでいるんだろうな……ああ、溜息。
ドイツにいらっしゃる百合屋ノ主さんからメールを頂きました。(こちらから催促したといった方が正確ですが) 写真を貼付してくれました。(パナのLX-1のようです)
ハンブルクのクリスマス市の様子です。
ハンブルクはブラームス生誕の地であり、ドイツ第二の都市であり、北ドイツ屈指の港町です。 ブレーメンと並んで自由都市の地位を今日まで確保しているとのことです。ハンバーガー発祥の地でもあります。
チェコのヴルタヴァ川(モルダウ川)が、この地ではエルベ川と名前を変え、この河口が経済を支えています。
南ドイツでは海がないので、水泳・サーフィン等 川や湖で行いますが、さすがにハンブルガーは海水浴を楽しむそうです。ただ川で泳ぐ場合もあり、その場合エルベ川はさすがに汚くて泳げないとのことです。

少ないとはいえ、紅葉が全く存在しない訳ではない
【南ドイツ : イン川周辺】車中から
昔お世話になった某研究所の所長さんから電話をいただく。
海外から研究者が留学してきたのだが、ついては関係する機関、研究所を紹介してくれとのこと。
こちらはその手の仕事に残れず、実家の家業を継いでドロッパウトした身、すでにツテはない。
かといえ、所長さんにはお世話になったし、誰も手をつけられない分野でもあり、所長さんのところの資料は斯界に知られざる貴重なものばかり。今ここで、端をつけろという天の思し召しかもしれないので、面会することにした。
日程を調整し、こちらの方から、郊外に新設したという研究所に行くことにした。
お会いしてみたらハンブルグ出身のドイツ人、しかもドイツ人らしからぬおしとやかな女性。仁屋番頭がドイツに魅了されていることを見透かされたような展開である。
この方に文科省に提出しただけの成果が出せるかどうかは別にして、それを誰かがやらなければならないことは目に見えている。
そこで時間も午後は余ったので、とりあえず友人の勤める研究所に携帯で連絡すると、アポが取れたのでその日の内に、行くことに。
再来週からは、大学の先生たち巡りを予定し、少し忙しくなる予定。それ位をお世話できたらなぁ、と思っている。 (このブログ見てくれている関係者諸君、よろしくお願いします)
ここまでが枕話。
彼女は「日本が綺麗だ、綺麗だ」と道中、話をしてくれる。
私はドイツの方がよっぽど綺麗だと思う。JRの「そうだ、京都に行こう」の紅葉狩りのポスターを見ての感想も含まれているらしい。
仁屋 「ドイツは黄色い黄葉だけですからね」
彼女 「そうそう、紅いのはない」しかも仁屋番頭さんは、南ドイツの山のある地方に行くからそれも堪能できるが、自分は北ドイツ、「黄葉が一面に……」というのはない、とのことである。
季節はいつがいいか?
そんなドイツ話に花が咲く。
以前ドイツ文学者の小塩節先生の「5 月 6 月 バラの花咲くドイツに来い」の文言にさそわれて、初夏のドイツに行ったが、秋の方が好かったとの感想を持ったことを当ブログで話した。
彼女はやはり、5 月 6 月 のドイツがお薦めだという。「あなたは南ドイツだから 5 月の北ドイツをご存じない。同様に秋はそんなに好くない。海が寂しい」ということである。一度北をバラの花咲く頃に行かなければ、解決しない問題だな……。
Canon AE1-P
new FD 35-70mm F4
古いアルバムより
new FD 35-70mm F4
古いアルバムより

Sony DSC-R1 プラハ
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![]() | 赤い屋根が綺麗…… オンラインアルバムにもあったけどこちらにも UP したの |
![]() | これは DSC-R1 の 14.3 mm域で撮ったもの 35 mm 換算で 24 mm 、恥ずかしながら初めて広角の威力を知りました |
![]() | 広角って何? 今まではどうしてたの |
![]() | 番頭が若い頃は、広角は 35 mm って相場が決まっていた 標準ズームは 35 mm 〜 70 mm の 2 倍だった |
![]() | それで? |
![]() | カメラが趣味ではなかったから、知らないうちに 28 mm が広角の標準に変わっていた 大学のころかな 中国旅行に行くのに叔父に勧められて 28 mm買って持ってたが、散々…… それ依頼トラウマ |
![]() | そういえば過去記事にあったね 「大破」したとか…… でもニコンって書いてある記事にも 24 - 120 mm っていうレンズがあるよ |
![]() | 周辺域が酷くてね なるべく 28 mmから使うようにしていたし、やっぱり使いこなせないでいたのに変わりがない それでこの写真 撮った当初は意識していなかったけど、今頃 24 mmっていいなぁ、と感じているところ |
![]() | 使いこなせていないことには変わりがないってことね 以上を要約すると「ほとんど偶然」っていうことになりま〜す カメラのお陰ね、アハハハ…… |
![]() | デジ一でも 24 mm 欲しいけど APS-C だからいいのがなくて いっそ銀塩に戻ろうかと思い、すると、どうせなら中盤スクェアフォーマットに面白そうなのが……とよからぬ考えが浮かぶ。街を徘徊すれども、今あるブローニーもほとんど使用していないし、ってことで死滅する銀塩はサッパリ捨ててデジタルで、という考えに戻ってくる……再び 24 mm のよいレンズがなくて……以下略…… 堂々巡りの状態 |
![]() | 平和な中年…… 仕事して... |

EOS 30D EF-S 17-55mm F2.8 IS USM
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München今日は東京を中心にして、鉄道路線の自動改札が始発より故障、首都圏はパニックでした。JR だけではなく、地下鉄・私鉄も含むものでしたから、大規模ですね。
各駅では自動改札を開放して、フリーパスにして対応したとのことです。
私の使用した路線は一応大丈夫で、降車駅は私がつくまでに復旧したとのことでした。
思い出しますのは、ドイツやオーストリアの(地下鉄の)駅は常時、ちょうど今日の緊急措置のフリーパスのような状態です。
日本の改札にあたるようなものがなく、申し訳なさそう程度に、まばらにポールが立っており、そこにセルフサービスのパンチが置いてあります。切符を買って、自分でパンチをして電車に乗り込みます。うっかりすると、そのポールすら見落としてしまいそうなくらいです。(ちなみにブレーメンでは、パンチ機すらないそうです。切符を購入したらそのまま乗り込む、切符売り場とホームの直結)
無賃乗車しようと思ったら簡単に出来そうですが、車内に車掌さんが回ってきて抜き打ち検査をし、切符を買っていないようなものなら高額の罰金を科せられます。
おおらかというか、変なところに経費をかけない合理性というのか……。
日本の自動改札なんて、六本木当たりに行くと外国の方々は、平気で自動改札跳び越えて逃げて行ってますしね。
どちらが合理的なのか、いや、お国柄の相違とでもいうのでしょうか、考えさせられます。

Sony DSC-R1
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今回はぷにっと囲碁!……さん風に挑戦。
![]() | 今日は、久しぶりの更新だ。 あまり長く更新しないとタグの打ち方もわすれてしまう。 |
![]() | 番頭さん、メタモルフォーゼンして登場ですね。 以前は 3DCG だったのに 1 次元減っていますよ。 |
![]() | 前のは会長が「気味が悪い」と言ったのでやめたんだったよね。 |
![]() | そう、そう、 肌の色が緑だったのが敗因だったんじゃないかと自分なりに考えて、肌色にしてみたんだけど、これじゃ『宇宙船サジタリウス』だよ……誰も知らないか……主題歌も「大人になっても思い出せない」とか歌ってたし。 |
![]() | …………。 何ですか? それ。 それはともかく、上の写真またプラハですか? |
![]() | 900 枚近く写真撮って、1 年これでもつだろうと冗談で言っていたのに、本当に 1 年経ってしまった。 |
![]() | 見せられる方も小出しにされて辛いよ。 けどここはどこ? 夏がけだるい感じ |
![]() | ここは旧市街地広場。ヤン・フス像が建っている。 向かいにある建物がカフカの通っていた学校。写真には写っていないけど、並びにティーン教会がある。のびる影は市庁舎の時計塔の影。 それで下の写真。天文時計が動く時間になると、人で埋まる。 |
![]() | ウワー!人種の坩堝 |
![]() | まだユダヤ人墓地とか写真が残っているけどそろそろやめておくよ。 学生のころ中国に行ったときの写真があるから、それも載せたいし。 |
![]() | アンタ、あちこち行っているんだね。でもそうした方がいいと思うよ。 |
![]() | 自分でもそう思うよ。 出不精だったんだけれど、お勤めとはいえいろいろ行ったんだな…… ……しみじみ |
フランツ・カフカ(1883 | 1924)はチェコ人の裕福な家庭に生まれた。
ドイツ文学史ではユダヤ系ドイツ人とされているが、父親はチェコ人、母親は裕福なドイツ系ユダヤ人で、チェコ人に該当するという。(もっとも本人自身、ユダヤ人であるとの発言があり、その自覚にたった行動もしている)
父ヘルマンは富裕な商人だったので、カフカは当時の習慣に従い、比較的上層階級の児童が通う学校、「帝立兼王立ギムナジウム」(旧市街広場に所在した。現在キンスキー宮殿。 1 階部分がカフカ書店になっている)にいれられた。ここでの授業はドイツ語によるものだった。ここで早くからドイツ語を使用して文学作品を書いていた。
カフカの家
カフカの家族もそうだが、カフカ自身も頻繁に住居をかえた。
ここプラハ城の中、「黄金の小路」(「錬金術師小路」)にはカフカが執筆のために借りていた家が残されている。中央の青い家がそれである。
カフカは 1915 年に「金のカワカマス館」に転居しているが、落ちついて創作活動に専念できる環境ではなく、新しい家を探していた。そして 1916 年、プラハ城内の「黄金の小路」にたまたま貸物件を得ることが出来たという。手紙の内容からは、ほとんど期待しないであたった場所のようである。
わずか半年ばかりの縁だったが「カフカの家」は、小さなたたずまいだったこともあわせてお気に入りだったようである。『村医者』 『天井桟敷にて』 『猟師グラックス』 『あるアカデミーへの報告』 『家長の心配』などが執筆されている。黄金小路
カフカが昇降に使っていたお気に入りの道とは、ここのことであろうか。
カフカの生家
旧市街広場、聖ミクラーシュ教会の隣に生家はあった。
現在は一部を残して別の建物になってしまっているが、「カフカ記念館」が置かれている。外壁にはカフカのレリーフが掲げられている。
有名な『変身』が執筆されたのは、パリ通り(旧称:二クラス通り)沿いにあったという「ツム・シッフ館」である。当時は新築されたばかりの高級住宅であり、カフカの社会的地位を表している。1912 年頃のことである。現存せず、館のあった場所はインターコンチネンタル・ホテルになっている。ここを少し進むと(写真右後方へ進む)、すぐにカレル大学法学部がありチェコ橋である。
肺結核で逝去。オルシャヌイ墓地(プラハ本駅の東)に埋葬されている。
【参考文献】
ドイツ文学史ではユダヤ系ドイツ人とされているが、父親はチェコ人、母親は裕福なドイツ系ユダヤ人で、チェコ人に該当するという。(もっとも本人自身、ユダヤ人であるとの発言があり、その自覚にたった行動もしている)
父ヘルマンは富裕な商人だったので、カフカは当時の習慣に従い、比較的上層階級の児童が通う学校、「帝立兼王立ギムナジウム」(旧市街広場に所在した。現在キンスキー宮殿。 1 階部分がカフカ書店になっている)にいれられた。ここでの授業はドイツ語によるものだった。ここで早くからドイツ語を使用して文学作品を書いていた。
カフカの家
カフカの家族もそうだが、カフカ自身も頻繁に住居をかえた。
ここプラハ城の中、「黄金の小路」(「錬金術師小路」)にはカフカが執筆のために借りていた家が残されている。中央の青い家がそれである。

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いつだったか夏に僕はオットラ(カフカの妹)と家を探しに行きました。本当の静けさが見つかるかもしれないとはもう思っていませんでしたが、行くだけ行ってみたのです……。やはりだめでした、めぼしいものは一つもありません。冗談であの狭い路地でも訊いてみました。ありますよ、十一月以降なら一軒お貸しできます。オットラの方でも静かな家を求めていて、この家を借りるという考えに有頂天になったものです……。
そこには住み始めにつきものの欠陥がたくさんありましたが……今ではあらゆる点で僕にぴったりの家です――ここまで上がってくる道のすばらしさ、部屋の静けさ、隣人とは薄い壁一枚で隔てられているだけですが、その隣人が申し分なく静かなのです。僕は夕食持参でここまで上がってきて、たいてい夜中までいます。それからわが家に戻る道にもすばらしいことがあります、夜中に僕は切り上げる決心をしなくてはならないのですが、そのあとに頭を冷やしてくれる道が僕を待っているのです。さらにそこでの生活――自分の家を借りて持つということ、世間を後にして後ろ手で閉めるドアが、自室のドアでもアパートの玄関ドアでもなく、まさしく自分の家のドアであるということ、そしてそのドアを開けると目の前に雪の降り積もった静かな街路があるということ、そういったことのなかには何か特別なものがあります。そうしたすべてが月わずか二十クローネなのですから。必要なことはみな妹にやってもらって、また幼い花売り娘(オットラの生徒)にも最低限必要な分だけ世話をしてもらい、すべてが文句のつけようもなくすばらしいのです。フェリーツェ宛書簡 1916 年頃 『カフカのプラハ』より
カフカは 1915 年に「金のカワカマス館」に転居しているが、落ちついて創作活動に専念できる環境ではなく、新しい家を探していた。そして 1916 年、プラハ城内の「黄金の小路」にたまたま貸物件を得ることが出来たという。手紙の内容からは、ほとんど期待しないであたった場所のようである。
わずか半年ばかりの縁だったが「カフカの家」は、小さなたたずまいだったこともあわせてお気に入りだったようである。『村医者』 『天井桟敷にて』 『猟師グラックス』 『あるアカデミーへの報告』 『家長の心配』などが執筆されている。黄金小路
カフカが昇降に使っていたお気に入りの道とは、ここのことであろうか。
カフカの生家
旧市街広場、聖ミクラーシュ教会の隣に生家はあった。
現在は一部を残して別の建物になってしまっているが、「カフカ記念館」が置かれている。外壁にはカフカのレリーフが掲げられている。

この看板左手に、インターコンチネンタル・ホテルがある
写真正面の向こうに拡がる一画がユダヤ人街
有名な『変身』が執筆されたのは、パリ通り(旧称:二クラス通り)沿いにあったという「ツム・シッフ館」である。当時は新築されたばかりの高級住宅であり、カフカの社会的地位を表している。1912 年頃のことである。現存せず、館のあった場所はインターコンチネンタル・ホテルになっている。ここを少し進むと(写真右後方へ進む)、すぐにカレル大学法学部がありチェコ橋である。
肺結核で逝去。オルシャヌイ墓地(プラハ本駅の東)に埋葬されている。
【参考文献】
![]() | カフカのプラハ クラウス ヴァーゲンバッハ (2003/05) 水声社 カフカをテーマにプラハを旅する人には、よい案内書になると思います。 ただあくまでも旅行のガイド書ではないので、この本以外で、それなりの下調べは必要になります。 この商品の詳細を見る |
フュッセン。Füssen ロマンティック街道 南端の街
タイトルに勝敗が書かれている訳は、以前にシュヴァンガウを訪れた帰りに「寄り道して見て行かない?」と誘われ向かったが、アウトバーンが帰宅ラッシュで渋滞。
待てど暮らせど進まぬ状況に、「みんな夕食を作って待ってくれているし、やっぱり帰ろう」と、撤退を敢行したのが 1 敗。
今回せっかくノイシュヴァンシュタイン城に行くなら、リベンジで宿はフュッセンにとろう。ただそれだけで、観光もなにも無し。それが 0.1 勝。
レヒ川 Lech
アルプスの雪溶け水が流れをつくる。
ヨーロッパは、アルプスの山々を水源にする川・湖が、石灰分を含み独特の碧色を織りなす。
あと 100 年――地球温暖化で、水たまりに等しいヨーロッパ内陸部の湖のいくつかは干上がってしまう――そう予測されている。
ドイツアルプスを背に、たゆたう流れを見せる。
朝日をあびて蒸気をあげている写真は、左のリンクから見て下さい
ホテル
それほど大きな観光地ではない。ホテルは B ランクが軒を連ねる。
とりあえずトレフ・ホテル・ルイトポルトパーク Treff Hotel Luitpoldpark を押さえることに。よくガイドブックに載っているところだ。
インターネットで評判を見る。「今ひとつだな」……これが当初の感想。
でも、選択肢がない以上、ここで無駄に詮索してもしょうがない。
実際行ってみると、奥に建て増ししていて結構大きく、近代的である。レストランありショップもあり、ジムやらビューティーサロンやら、ちょっとした一流ホテル並みに入っている。
日本からの情報だけでは、マイナスイメージだったが、貧乏旅行の私たちには充分すぎるほど。スーペリアクラスとはいかないが、ランクはかなり上と見ていい。
写真は、WEB 上で見られるピンク色の建物を正面にして、向かって右に入った所にある、建て増し部分に付属している入り口。
聖マンク修道院 Kroster St.Mang
朝、城に散歩に出かける。
ゴミ収集車がゴミを取り込む。なぜかこうした日常の営みに出逢うのがたまらなく嬉しい。
多くのコウモリが群がっていたと思い写真に撮る。今よく見ると、どうやら鳥のようである。
菜の花や 陽は東に 月は西に
ホーエス城には行かず、遠景だけでも写真を撮っておいたつもりが、どうやらこれも修道院みたいである。城の写真はないことに……。
以前、補色残像の実験に使った写真。これがオリジナルである。
街角
聖シュピタール教会
マグヌスの影
ライヒェン通り(Reichen str.)の噴水には宣教師マグヌス像が街の伝説として祀られている。聖マンク修道院を創設した人物らしい。
1562 年にヨーロッパ初のリュート製造、ツンフト社が設立され、リュートやヴァイオリンの生産地としても知られている。(ほかにもミッテンバルトなど、南ドイツにはヴァイオリンの産地が結構ある)
ちなみにロマンティック街道の名称は、北ドイツからローマへ向かう巡礼の道であったこと、もしくはローマ人が造った街道だったことが由来らしい。すなわち Wikipedia に次のようにある。
タイトルに勝敗が書かれている訳は、以前にシュヴァンガウを訪れた帰りに「寄り道して見て行かない?」と誘われ向かったが、アウトバーンが帰宅ラッシュで渋滞。
待てど暮らせど進まぬ状況に、「みんな夕食を作って待ってくれているし、やっぱり帰ろう」と、撤退を敢行したのが 1 敗。
今回せっかくノイシュヴァンシュタイン城に行くなら、リベンジで宿はフュッセンにとろう。ただそれだけで、観光もなにも無し。それが 0.1 勝。
レヒ川 Lech
アルプスの雪溶け水が流れをつくる。
ヨーロッパは、アルプスの山々を水源にする川・湖が、石灰分を含み独特の碧色を織りなす。
あと 100 年――地球温暖化で、水たまりに等しいヨーロッパ内陸部の湖のいくつかは干上がってしまう――そう予測されている。
ドイツアルプスを背に、たゆたう流れを見せる。
朝日をあびて蒸気をあげている写真は、左のリンクから見て下さい
ホテル
それほど大きな観光地ではない。ホテルは B ランクが軒を連ねる。
とりあえずトレフ・ホテル・ルイトポルトパーク Treff Hotel Luitpoldpark を押さえることに。よくガイドブックに載っているところだ。
インターネットで評判を見る。「今ひとつだな」……これが当初の感想。
でも、選択肢がない以上、ここで無駄に詮索してもしょうがない。
実際行ってみると、奥に建て増ししていて結構大きく、近代的である。レストランありショップもあり、ジムやらビューティーサロンやら、ちょっとした一流ホテル並みに入っている。
日本からの情報だけでは、マイナスイメージだったが、貧乏旅行の私たちには充分すぎるほど。スーペリアクラスとはいかないが、ランクはかなり上と見ていい。
写真は、WEB 上で見られるピンク色の建物を正面にして、向かって右に入った所にある、建て増し部分に付属している入り口。
聖マンク修道院 Kroster St.Mang
朝、城に散歩に出かける。
ゴミ収集車がゴミを取り込む。なぜかこうした日常の営みに出逢うのがたまらなく嬉しい。
多くのコウモリが群がっていたと思い写真に撮る。今よく見ると、どうやら鳥のようである。
菜の花や 陽は東に 月は西に
ホーエス城には行かず、遠景だけでも写真を撮っておいたつもりが、どうやらこれも修道院みたいである。城の写真はないことに……。
以前、補色残像の実験に使った写真。これがオリジナルである。
街角
聖シュピタール教会
マグヌスの影
ライヒェン通り(Reichen str.)の噴水には宣教師マグヌス像が街の伝説として祀られている。聖マンク修道院を創設した人物らしい。
1562 年にヨーロッパ初のリュート製造、ツンフト社が設立され、リュートやヴァイオリンの生産地としても知られている。(ほかにもミッテンバルトなど、南ドイツにはヴァイオリンの産地が結構ある)
ちなみにロマンティック街道の名称は、北ドイツからローマへ向かう巡礼の道であったこと、もしくはローマ人が造った街道だったことが由来らしい。すなわち Wikipedia に次のようにある。
(ディンケルスビュール)市ができあがるまえから、2 つの交易路(ニーベルンク街道とローマ街道)が交わるヴェルニッツ川の渡渉地点として、防衛上の重要地であったこの地に、1130 年頃シュタウフェン家はディンケルスビュールの防衛施設を建造した。
この、ディンケルスビュールを通る(1236 年の文献では " Dinkelpole " と記載されている)南北の街道は、ヴェルニッツ川やレヒ川の渓谷沿いをたどる交易路であると同時に、北ドイツからローマへ向かう巡礼の道でもあった。
1950 年にアウグスブルクの市長であったヴェーゲレは、観光の振興を目的として、連邦道 B25 号線沿いを中心に、ヴュルツブルクからアウグスブルクまでの中間に位置する中世の面影を残した街が連なるルート、特にローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ディンケルスビュール、リース盆地のネルトリンゲン、ドナウヴェルトを「ロマンティック街道」と名付けた。
Sony DSC-R1
processed RAW materials by Photoshop CS2
Sept. 2006
processed RAW materials by Photoshop CS2
Sept. 2006





























